こなぱんだ

i-新聞記者ドキュメント-のこなぱんだのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

「FAKE」に対するアンサーソングとでも言うべきだろうか、森達也がこれでもかというくらい権力に食らいついた、一番勝負している作品になったのではないでしょうか。

「FAKE」までの作品は、やはり観客自ら考えることを要請するような終わり方・作られ方が多く、それゆえに「森達也いい加減はっきりしろよ」とかいう全くもって映画を見て考えることの出来ない客層の、非常に愚かな感想が湧いてでてきたなあ……と思っていたのですが、そういうわけわからん奴らに対するアンサーとでもいうべき、ここに、はっきりと森達也の考えが全面に表現された作品が誕生した、それが「i 新聞記者ドキュメンタリー」です。


望月さんの事件(?)に関しては結構耳に新しいところがあるかと思うのですが、それを「ドキュメンタリーは嘘をつく」という徹底した姿勢の元に、バカな(ここでは「映画」を「映画」として享受できない、さらに作品の中で言われている安倍さんにバカにされているという二重の意味を含みます)観客を徹底的に誘導しようとする。

そこが、これまでの森達也と明らかに違うところです。

この作品の8割方を見れば明らかに政権側が論理的に間違っていて、いかに誠実な政権運営をしていないかがバカでもわかると思います。この国は水面下でおかしい方向へと進んでいるし、それはほとんどがどうしようもない。それこそ望月さんに続く記者がいなかったり、告発する森達也のような人がいなくなったらこの国は本当に「オワリ」でしょう。

おそらく、ある程度の良心を持っているだろう一般の人間は誰しもが行き場のない怒りを抱えることになるでしょう。少なくともそもそもの問題を知っている私は「ここまで酷いのか」と本当に怒りが湧きましたし、こんなに懸命に抵抗している人々を見て、それでも圧力をかけてくる既得権益側に心底ムカつき、憎らしかった。

ですが、森達也の本質は観客をリベラルへと導くことではなく、この、最後の森達也のはっきりとした意見表明(それはそれはわかりやすい、バカでもわかるようなものです)にあると思うのです。


あえてここでは記載しませんが、これまで森達也を追い続けていた身からするともちろん森達也のこれまでと変わらない意見です。ですが、ここまで作品を見続け、怒りを持った観客に、「それではダメだ」と、「怒りを持つのではダメだ」と警鐘を鳴らす森達也。それはなぜかというと、それまで圧力をかけられていた側が団結し、圧力から解放されれば、それまでの既得権益側を弾圧するようになる。要するにシステムが変わらなければ既得権益と抑圧される側はその中身(そこにいる人々)が変わるだけで何も解決しないということなんですね。(※幾原邦彦はこの、圧力をかける側のことを「透明な嵐」と表現しました。村上春樹ならば「卵と壁」ですね)


では、怒りをぶつけるのではなくどうすればいいのか。近代的な「個」を追求するのではなく(本質的な意味では近代的な「個」かもしれませんが)、実存としての「個」を追求することで「透明な嵐」に巻き込まれないようにするしかない。(これについては映画の最後を見ればわかりやすいかと。)

そして、その方法に関して、幾原邦彦は「スキをあきらめない」と言っている。
幾原のいう「スキをあきらめない」という文脈は「私はスキをあきらめない、スキをあきらめなければ透明な嵐に巻き込まれても透明にならない」ということなんですね。自分のたったひとつの「スキ」があれば、たとえ透明な嵐が起こったとしても自分は加担しなくて済む。ただし、そこにはどうしたって「戦い」がつきまといます(望月さんを見ればとてもよくわかる)。

これらのことが、非常にわかりやすく、また飽きずに観られるようにまとめられているので、かなりの傑作なのでは??
この作品が本当に、日本中にいる全ての人が観られることを、切に願っています。
ちなみに私は最後がやっぱりわかりやすすぎるのがいささか不満、というかうーん、となってしまったので、4.0です、、、

余談ですが、上映後のQ&Aで「iってどういう意味ですか」と聞かれ、森達也が「LOVEの愛です、、、冗談ですよ」と言っていたこと、あながち冗談ではないと私は思っている。
こなぱんだ

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