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MONOS 猿と呼ばれし者たちのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

MONOS 猿と呼ばれし者たち(2019年製作の映画)
2.0
[山頂とジャングルの『蝿の王』] 40点

雲を見下ろすようなコロンビアの山奥の絶景を背景に"猿"と呼ばれる七人の少年少女がゲリラ兵として訓練を重ねている。彼らの中には恋愛があり、青春があり、そして銃がある。彼らは子供として、同時に大人として、危険と隣り合わせの山頂でアメリカ人女性医師を捕虜として護衛しているのだ。アレハンドロ・ランデスの7年振りの新作は今年のサンダンス映画祭でプレミア上映された際に激賞され、遂にはアカデミー外国語映画賞のコロンビア代表にまで選出された。

物語は大きく分けて二つのパートに分かれている。ウルフと呼ばれる年長の少年がリーダーとなる山頂時代とビッグフットと呼ばれる少年がウルフの後を継いでリーダーとなり独裁者となるジャングル時代だ。山頂時代では圧倒的な自然を背景にしたロングショットが目立ち、少年たちは厳しい上司を持ちながらも伸び伸びと生活している姿が描写される。それに対してジャングル時代ではビッグフットの指導力のなさと暴力性から腕力で全てを解決しようとし、無個性な仲間たちがそれに呑み込まれていく姿が描かれている。追い詰められた少年たちの姿はウィリアム・ゴールディング『蝿の王』、或いは山岳ベース事件などを連想させる。

★以下ネタバレ

ただ、『蝿の王』にしろ山岳ベース事件にしろコミュニティの外にいる人間がないことが一番重要だったのに、本作品では部隊の上役が一人登場する。序盤で登場するのは理解できるが、ジャングルに場所を変えても登場し、山岳ベース事件のように自己批判を迫る描写は完全に余計と言うか別の人物(主にビッグフット)が担うべきだった。彼を殺したことで少年たちが自由になることは理解できるが、その後もジャングルのベース基地を移動しないことなど殺したことに対する意味付け以外の最低限のリアルさすら欠けている。また、最後まで捕虜を守り続ける意味も分からない。全てが曖昧な中"少年たちが狂いました"という記号的な意味が彼らに貼り付けられているだけで、ビッグフット以外の子供たちへのフォーカスも甘すぎるし、そもそものビッグフットへのフォーカスも甘すぎる。前半は感情のぶつかり合いがあって楽しめたが、後半になるにつれて必要な描写すら端折った粗筋としての記号的意味以外のものを感じられず退屈してしまった。残念。上官と連絡取れず子供たちが対立して反ビッグフット派の子供が捕虜を逃したら…みたいな展開のほうが萌える気がするが、6人だと対立の描写も厳しいしありきたりな気もする。というか捕虜が逃げ出したシーケンスに時間かけすぎだろ、あいつこそ"捕虜"っていうラベルだけでいいのに。

前半と後半の落差のせいでこんな点数になってしまったが、映像も演技もどれもよかったとは思っている。悩ましい映画だ。
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