このレビューはネタバレを含みます
2019年制作、マルコ・クロイツパイントナー監督による「逃げナチ」「隠れナチ」を炙り出すフェルデナンド・フォン・シーラッハ原作の法廷小説の映画化である。
本小説がきっかけでドイツ連邦法務省が法律に抜け穴があるとして調査委員会が立ち上げられている。
新米弁護士カスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)はある殺人事件の容疑者の国選弁護人に選任され、そのキャリアをスタートさせたが、引き受けてみると被害者はドイツでも一目置かれる実業家のハンス・マイヤー(マンフレート・ツァパトカ)で、子供時代の父親代わりの恩人でもあった。
マイヤーの孫娘ヨハンナ(アレクサンドラ・マリア・ララ)はライネンと幼馴染で関係も持つ仲であったことなどもありライネンは一旦は弁護を辞退するも被害者遺族の公訴代理人で大学時代の恩師であるリチャード・マッティンガー(ハイナー・ラウターバッハ)から弁護を引き受けるようアドバイスを受け、已む無く弁護活動を開始する。
当然、ヨハンナとは軋轢が生じるがライネンは自分の仕事だとして弁護活動に邁進していく。
事件後、自首した容疑者であるイタリア人コリーニ(フランコ・ネロ)は永きにわたり出稼ぎ労働者であったが今は年金受給者の身であった。
調査を始めたライネンに対して全くの黙秘を貫いていた。
コリーニ役を観てどこかで見た顔だと思ったらあのフランコ・ネロであった。
マカロニウエスタンではジュリアーノ・ジェンマと並んで一世を風靡した役者で寡黙で忍耐強い凄腕ガンマンというキャラが板についていた。
調査を深く掘り下げていくうちにコリーニの出生地であるイタリアの片田舎の町で起こったナチスによる村人達の虐殺事件が明るみになる。
事件を目撃した生き残りの老人からマイヤーが将校として指揮をとる部隊がこの虐殺事件を起こしたことを突き止める。
コリーニはこの時、父親が目の前で殺害されたのを目撃していたのだ。
ユダヤ人へのホロコーストはもちろんであるが、レジスタンスやパルチザンの炙り出しの為にこうしたナチスによる残虐行為がヨーロッパ各地の占領地で行なわれていたのである。
戦時下では上官からの命令や任務遂行の為、已む無い処置だったとして擁護論も浮上するなどして、「秩序違反法に関する施行法」(ドレーアー法)を1969年に施行することにより、大戦下のナチの戦争犯罪を時効にする法律改正が行なわれたが、この法律の起草者の1人にマッティンガー教授が名を連ねていたのだ。
国際法上では殺人罪になるところを一国の国内法の改正によってナチ戦犯の追及を断ち切ったのである。
ライネンはこれを法廷ですっぱ抜きマッティンガーに今でも無罪と言えるのかと迫り、とうとうマッティンガーの口からあれは国際法上有罪だったと言わせたのである。
法廷はどよめき、コリーニも顔を上げる。
裁判長はコリーニの減刑を求める裁判であったその判決を明日行うことを告げ閉廷する。
その夜、牢屋の鉄格子ごしに星空を見上げるコリーニの姿があった。
翌日の判決言い渡しの日、法廷にコリーニの姿はなかった。ライネンやマッティンガーが訝しげに開廷を待っていると、判事の一団がうつむき加減に入廷して来る。
裁判長は溜息をつき次のように話し始めた。
「被告人は昨夜、自ら命を断ちました。被告人不存在につきこの裁判は審理終了とします」
戦争というものの虚しさや愚かさ、そしてそれらが勝者や敗者に関係なく永きにわたり傷跡を残すことを静かに訴えている。
マイヤーも平時では良き父親であり、良き社会人であり、心優しき老人であった。
人間の奥底に潜む残虐性や闇が特に権威主義者が権力を持った瞬間から鎌首をもたげる傾向は歴史が繰り返し証明している。
人間の存在本質が善であると信じたいが、一方ではそうでないものが同胎していることは残念ながら認めざるを得ない。むしろそういう生き物が人間であるが故に宗教や哲学が存在し続けてきたのかもしれない。
ドイツが犯した罪をドイツ人がドイツ人によって世界に向けて描かれる清さと度量の深さに感服する一編である。