このレビューはネタバレを含みます
なんとも心を躍らせる素晴らしい映画。最後のほうは感動して感動して言葉を失った。
誰にでもビハインドはある。そして誰もが他人と同じになろうとする。目立ちたい人と目立ちたくない人。体型のことが理由で本人の意思とは裏腹に背が高いという理由で揶揄される少女。少女が大人になる、というドラマでもありながら、”偏見”という側面にも注視している。
話題はそれるのだが、我が家の小さいテレビで見るドラマはやはり映画館に比べると臨場感を欠く。映画館で見る臨場感とは、そのドラマの中に自分が入り込むような気持ちにさせてくれることだろう。その中で映画的なシーンを見つけるとより感動が増すものだろう。この映画では間違いなく主人公の少女と父親の連弾。ピアノを前に落ち込んだ娘を父親が慰めるシーン。俯瞰のカメラが2人を見下ろすシーン。彼女がパパの肩に頭をもたれるシーンは見事。素晴らしいシーンだ。
冒頭のシーンもいい。図書館で男子に声をかけられた主人公が立ち上がると、彼女の後ろにあるカメラも一緒に視界を上げてゆく。見下された男子は躊躇して去ってゆく。この悲哀を最初から映像で示す。
背の低い幼馴染の男友達が背の高い主人公にハイヒールをプレゼントするシーンは最も感動的だ。このシーンで映画を終わらせていいぐらいの感動。彼は目の辺りにアザを作ってベッドで寝ている彼女にささやきかける。そして彼女の未来を語るのだ。なんという感動だろう。彼の彼女に対する思いが見事に伝わる。しかし彼はそれをダイレクトに伝えることができないから、婉曲した表現しかできない。このもどかしさ。
老いて今更元気若者たちの恋愛映画をみてこのようなことを書くのも気恥ずかしいが、究極の恋愛とは手に入りそうで入らない”状態”ではなかろうか。それは年齢を問わない。大局的な映画に『邂逅』『旅情』『マディソン郡の橋』など、数ある名画はこのことを映像で表現してきたのだ。こうした名画を見てきた者として、この小さくて大きな主人公の映画にもまた感動することができると思っている。
彼女のお姉さん役のサブリナ・カーペンターはその美貌だけでなく、才能を感じさせる。同じNetflix映画で主役を演じる小さな彼女のおおらかな演技もまた見逃せない。