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ロストガールズのkuuのレビュー・感想・評価

ロストガールズ(2020年製作の映画)
3.7
『ロストガールズ』
原題Lost Girls.
製作年2020年。上映時間95分。

実在の未解決事件『ロングアイランドの連続殺人鬼』(犯行期間1996年前後–2010年前後から2013年、ロングアイランド・シリアルキラー<LISK>、ギルゴ・ビーチの殺人鬼、またはCraigslistリッパーとも呼ばれる怖ええ奴。ほぼ20年間に渡って10人から16人を殺害したとされる正体不明の連続殺人犯である。)を題材に、失踪した娘を探す母親が真実と正義を求めて闘う姿を描いたロバート・コルカーの著書『Lost Girls: An Unsolved American Mystery by Robert Kolker』を原作米国製ミステリードラマっすね。

エイミー・ライアンが母ちゃん役を熱演し、ガブリエル・バーン、トーマシン・マッケンジー、ウーナ・ローレンスが共演。
監督は『マリリン・モンロー 瞳の中の秘密』などのドキュメンタリー作品を手がけたリズ・ガルバス。
Netflixで2020年3月13日から配信。

親知らずのボウは、セックスで人々の命を奪ってしまう危険な力を持っていた。ある日、ボウは自分が人じゃなく特殊な種族“フェイ”のサキュバスだという事実を知る。
あ!っこれ『ロスト・ガール』 って、結構前にはまったカナダのダーク・ファンタジードラマやった😄🙇‍♂️。

改めましてお話は。
2010年、ニューヨーク州。
3人の娘を持つシングルマザーのメアリー・ギルバートは、離れて暮らす長女シャナンと連絡が取れずポリスに捜索を依頼する。
シャナンは失踪前に緊急通報に助けを求めていたが、彼女が売春婦であることからポリスはまともに捜査を進めようとせず、メアリーは自ら娘の行方を追う。
やがて、シャナンが消息を絶った現場の近くで複数の女性の遺体が発見される。。。

今作品は、事象が確実でない最も傷つく曖昧なとこについて描かれてる。
完全な光、または、渾沌たる闇でもない。
そないな空間にいるちゅうことは、人の首を真綿で首をしめるようなモンです。
その考え自体ある意味の不安感を生み出していました。
今作品の被害者たちの多くは20代前半のセックスワーカーちゅう共通点があった。
古今東西、社会は一般的(何を基準に一般的と呼ぶのか難しいけど)に、表舞台には価値がないと思われる階級や層の人々に対しては頑固一徹石頭岩石なモノです。
価値があるか否かっつ判断基準は、多くが偽善的な信念と感性に基づいています。
最も発展した社会でさえ、いや、発展社会こそセックスワーカーを軽蔑してる人が多い。
人は、彼ら彼女らの基本的な権利を無関心に奪い、人生が些細でつまらないものであるかのようにしている。
この事件じゃ、シャナンがセックスワーカーであるだけじゃなく、彼女の母ちゃんが12歳のときに彼女を里子に出していた。   
母ちゃんメアリー・ギルバートは、娘がどこからゼニ(お金)を持ってきたかわかっていても、ためらわずにゼニを受け取っとった。
人の行動が己のモラルに合わないと、その人の人格を非難するのは、どんなに頭の良い人でも持っている心理。
今作品の事件でも、メアリー・ギルバートは娘の失踪に責任があるかのように見下され、非難される。
行政は、自分たちの無能さを隠すための口実を得た。
せや、メアリー・ギルバートは回復力があるってかパワフル。
犠牲者の家族が集まり、影響力のある地域で追悼集会を始める。
物語は、セックスワーカーちゅう側面に不必要なイヤらしい光を当てることなく、すべての犠牲者を平等に扱ってるしとても好感がもてた。
ガブリエル・バーンが演じるリチャード・ドーマー警視総監も素晴らしい。彼は、被害者の家族にとって唯一の希望の光となる意識高め男を演じています。
要らんのちゃうと思われる小ネタもあったけど、今作品はプロットを保つことができていましたし、メロドラマ的なカーブを描くことなく(作品によっては嫌いではないですが)、動揺した連続殺人犯を中心とした物語を構築しようとする、1時間30分に及ぶ爽やかなミステリードラマでした。
人って、いつでも希望ちゅうのは、片方に絶望が有って、絶望の深い闇の中から一条の光がさしてくると思います。
その一条の光を気がつくか気がつかないかのどちらにせよ。
人は、ただ、ただ、明るい中から希望を求めるって云っても難しい。
やっぱ、
絶望とか、
あるいは悲しみ、
迷い、
そして苦しとかの中で必死になって自分の心の触手を辺りにひろげ、何かに掴もうとして、行ったり来たりしながら、人は何事かを理解する。
時には、その切っ掛けとなるのが、言葉やったり、文字やったりするんやろうと、小生はいつも思います。
だから人の一条の光とまではいかないまでも必死に触手を広げてる人に手を差し伸べれる人になれたら少しは自分の背負う闇も消えるかなぁと今作品を観て思いました。
しかし、世の母ちゃんは強いな。
いや、女子は強い。
ほんで、強い女子は美しい。
以前何かの感想で載せました愚かな小生の作りました詩を思い出しましたし、烏滸がましいですが載しときます。
     無題
       愚kuu ことGeorge

男はこの世の生物の中で最も高尚であり
女はあらゆる理想のうちでは最も崇高なのかもしれない
創造主は男のために王座を
女のために祭壇を設けた
王座は男の士気をを高め
祭壇は女を神秘的にする
男は理性であり
女は感情である
理性は眩しさを造り
感情は愛を生ずる
眩しさが生じ
愛が産まれる
男は理性ゆえに迷い
女は泪ゆえにムテキである
理想は俺達を納得させ
涙はわれわれを動かす
男はあらゆる英雄にもなれ
女はあらゆる宿命に打ち勝つことができる
英雄的行為は俺達を潔くし
受難はわれわれを崇高にする
男は支配しようとし
女は選ぶ権利を持っている
支配権は力を意味し
選択権は正義を意味する
男は堕天使であり
女は天使である
その堕天使は鎖に繋がれ
その天使には限界がない
男が熱望するのは理想的な栄光であり
女が熱望するのは美徳である
栄光はあらゆる偉大なものを造りだし
美徳はあらゆる神聖なものを造りだす
男は倫理であり
女は布教者である
倫理は正義を行い
布教者はムテキにする
男は思考し
女は夢想する
思考とは脳の中に蛆虫を持つことであり
夢想とは額にオーラを持つことである
男は海原であり
女は淡水湖である
大洋は珊瑚で飾られ
湖は歌ででまぶしく輝いている
男は飛べない鶏であり
女は歌うナイチンゲールである
空を飛べないということは支配誤ったからであり
歌うということは霊を征服するということである
男は寺院であり
女は拝殿である
俺達は寺院の前で自分自身を気付き
拝殿の前にひざまずく
死んで男は砂漠の地に朽ち果て
女は空の始まるところにおかれる
kuu

kuu