国立映画アーカイブにて『神屋原の馬』と併映につき鑑賞。『神屋原の馬』が35mm、『海南小記序説』が16mmの上映。「神屋原」と書いてカベールと読む。
闇の中から祭祀にのぞむユタの姿が朧げに登場し、言葉の輪郭すら掴めない琉球語の響きも相まり鑑賞する我々の日本民族としてのアイデンティティが夢幻のうちに揺さぶられる。
『海南小記序説』のような、島にとっての他者に対する沖縄からの排外的な眼差しが掬い上げられている映像は今でこそ珍しく映るものだ。沖縄を巡るイメージは、その後観光的なイメージ戦略に伴い「受容的」なものへと強制されていく。内部へ踏み込もうとするカメラと、それを遠ざける島民のオフの声による独白の乖離が実にいたたまれない。