古川智教

情事の古川智教のレビュー・感想・評価

情事(1960年製作の映画)
4.3
映画は総合芸術ではなく、引用芸術である。俳優、その身体、衣装に美術、風景諸々、それに「不在」。アントニオーニの映画において、「不在」は存在する。無人島に行く前に恋人のサンドロを迎えにくとき、アンナは親友のクラウディアに仕事で不在にしがちの恋人に一ヶ月の間会っていないことの苦しみとは矛盾するある種の気楽さもある、相手を好きに想像しうると語る。そして、無人島ではサンドロに別れではなく、一ヶ月と言わず、もっと長い間会わずにいた方がいいのではないかと言い、陸からは孤絶した無人島で失踪する。クラウディアのカバンにお気に入りの自分の服を忍ばせて。その服をアンナを探すために無人島で一夜を明かしたクラウディアが着ることになるのだが、クラウディアはここで「不在」を身に纏っているのだ。至るところにアンナの「不在」、アンナだけではないクラウディアの、サンドロの「不在」がある。(当然、無人島の「不在」も。アンナが「不在」なのは死を与える他者がいないからだ。無人島も他者が誰もいなければ、死ではなく、「不在」である)余白を多く含ませるロングショットや構図に、ひとりでいるときのクラウディアやサンドロのすぐ傍に。愛の「不在」すらここにはある。「不在」があるだけではない。「不在」は反響する。ブラインドに閉ざされた部屋にクラウディアが呼びかける声は反響し、教会の屋上での鐘は自身だけではなく、隣の教会の鐘をも打ち鳴らさせて、反響する。これほどまで「不在」を引用できる映画作家が他にいるだろうか。アントニオーニは「不在」の存在論を刷新する。
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