「t.A.T.u.が出たくねぇ、ということです。
控え室から出てこないと言うことです。」タモリ
t.A.T.u.というアイドルユニットを覚えているだろうか。
ロシアの2人組歌手で、一瞬だけ世界でヒットしたので日本でも少し話題になった。
が、当時のMステに出演予定だった彼らは、話題作りのために控室からでないという謎のパフォーマンスをみせ、日本では大ブーイングを浴びた。
その後、「Gomenasai(ゴメンナサイ)」という曲も作ったが、努力も虚しく砕け散った。
そんな彼らだが、日本人が反応したのは曲よりも”タトゥー”という言葉であった。
タトゥーは英語で刺青を指すということは、今では誰でも分かる言葉となっているが、当時はその言葉に馴染みがなかった。
が、このアイドルグループのおかげで日本の認知度は、ぐんと伸びたと思われる。
本作は、顔面にびっしりとタトゥーがあるネオナチの男が社会に復帰しようとする話である。
どうしても思い出すのはエドワード・ノートン主役の「アメリカン・ヒストリーX」だ。
ノートンはそのころ、昔のダスティン・ホフマンのようなよわっちいやつのイメージがあったが、
あの作品では見事に肉体改造を成功させ、ネオナチ役をこなしていた。
本作のジェイミーベルも、子役のリトル・ダンサーのイメージがあり、爽やかな青年といった印象で、やはりよわっちい。そのため作風にマッチしているのかはみるまで疑問であった。
が、これもまた見事な肉体改造で、タトゥーもさることながら非常に近寄りがたいキャラクターを演じており、俳優に掛かる負担は相当なものだろうと察する。
シリアスな内容でありながら、思いの外見やすく、キャストの演技力も相まって良い印象を受けた。
ただ実際の出来事であるから、あまりにどうこう言うつもりはないが、描かれていることが表面的であり、内面まで掘り下げれていないといった印象を受けた。
それは反ヘイト団体側の活動を掘り下げることや、ブライアンのレイシストとしての活動をもっと描くことで、メッセージ性を高めることが出来たのではと思う。
ただ、そういった社会派な部分を強めると、却って見づらい映画になるといった側面もあるため、
間口を広げるという意味ではこちらのほうがいいのかもしれない。
タトゥーをいれる理由は単にアートとしてであったり、地位や所属をあらわしたりといろいろだが、誰でも簡単に入れることが出来る。
そういった自分の表現を私は否定しない。
それはタトゥーでなくとも、こういった映画のレビューであったり、なんらかの創作物であったりしてもだ。
ただそれを他人に受け入れてもらうというのは何倍も難しく、ときにはタトゥーを消すときのように苦痛を伴うということを忘れてはいけない。