雷電五郎

水曜日が消えたの雷電五郎のレビュー・感想・評価

水曜日が消えた(2020年製作の映画)
3.8
子供の頃の事故により7人の人格を宿すことになった斉藤数馬。彼は曜日ごとに人格が変わる生活を16年も続けていた。ある日、「火曜日の僕」が眠りに就くと「水曜日の僕」が消えていた…という、あらすじだけならば完全にサスペンスですがヒューマンドラマです。

多重人格という設定が用いられる場合、多くは邪悪な人格と体の主導権を巡って戦うといったストーリーになりますが、この作品では7つの人格を7人の個として描き、彼らはいわば16年もの月日をともに暮した兄弟にも感じられる関係性として描写しているのが面白かったです。

科学的な設定面がふわっとしていますが、「火曜日の僕」が火曜、水曜と二日の時間を過ごせる自由に喜ぶ一方で、「水曜日の僕」が司書の女性に寄せる想いを知り、自分と同じように他の曜日の自分にも各々の感情と生活があることを痛感し、体は自分でありながらその中に個人という自立した精神を認識する。
そして、己と異なる自立した精神とは即ち他人であり、他人であるということは1人の人間なのです。

火曜日の僕も月曜日の僕も、最終的に各曜日に閉じこめられながらも濃密な1日を生きる自分達は簡単に消し去ってしまえる、ただの分裂した人格ではないことに気づきます。

こういった話では大抵の決着として人格の統合が治療の着地点となりますが、単なる人格ではなくそれぞれに人の個を見い出しともに生きてゆくという結論を出すのが、ヒューマニズムを感じさせてとても好きでした。
難しいことではあるし、現実的に考えると非常に困難を伴う生活ではあると思いますが、必ずしも現実と同じ結論を選ぶ必要がないのが映画の良いところであり、人の理想を垣間見れる素敵なポイントだと思っています。

余計なBGMもなく、彼らの生活の中には曜日を示すクラシック音楽が心情に合わせて奏でられ、変な茶化しもなくじっくり観られるのも好きでした。
火曜日の僕が司書の女性から「あんなに嬉しそうに(グリーグの「朝」を)聴いてる人はいないと思う」と水曜日の僕の様子を聞かされるシーン、水曜日の僕に自分とは違う個を見い出して狼狽えるのが印象的です。
一週間にたった1日だけという生活、彼らにとっての1日は1分1秒たりとも無駄にできないことを知るだに、ダラダラと毎日生活している自分がちょっと恥ずかしくなってしまいもします。

7つの人格ではなく7人の自分として生きるという選択、こういうのもいいですね。
エンドロールの付箋での会話がクスリとできて好きでした。

かなり広い家に住んでることには驚きましたがご両親の遺産…とかなんでしょうか。

面白かったです。
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