叡福寺清子

リチャード・ジュエルの叡福寺清子のレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
4.0
アトランタオリンピックの裏で発生した爆弾テロ事件.当時警備員として勤務していた第一発見者のリチャード・ジュエル氏.彼の早期発見により被害は最小限にとどまり,一躍英雄として祭り上げられますが,FBIが被疑者と認定したこと,またそれが新聞の一面を飾ったことから,メディアリンチの餌食となります.いやぁ怖いですねぇ.こんばんわ三遊亭呼延灼です.

SNS の原型と言われているSixDegreesが開始されるのが,アトランタオリンピック開催の翌年の97年.従って本作においてジュエル氏はメディアリンチとFBIによる思い込み捜査に晒されただけでした(それだけでも十分酷い話ですが)が,もし現在ならここにネットメディアやSNSというより苛烈なリンチが追加されることでしょう.96年と比較して現代は,匿名化がものすごい速度で進行し,全人類無責任時代に入ったといえましょう.それはつまり,事の軽重はともかくとして,誰でもジュエル氏の立場になりうるし,誰でも名もなき批判者という加害者になりうる事を意味します.その事に恐怖と危機感を感じるのは,イーストウッド監督だけではないでしょう.「スマホを落としただけなのに」もきっと辺りを,我が国ならではの固有の問題と絡めて指摘する優れた作品なのでしょう.未視聴ですからよくわかりませんが.

終盤にてジュエル氏が連邦捜査局にて「次に爆弾を発見した人が通報すると思いますか?第二のジュエルになるのは避けるんじゃないか」と捜査官達を糾弾していましたが,何もそんな大袈裟な話ではなく,迷子女児を総合案内所に誘導している最中に両親に誘拐と間違われ警備員に連行,その様子を匿名の誰かが撮影し投稿すれば,その瞬間私も貴方も第二のジュエル氏化するでしょう.でも,女児の両親を含めそこには明確な悪意は存在しません.ちょっとした勘違いとただの好奇心とバズれと望む功名心.立場が違えば私だって投稿していたかもしれない.FBIと違ってSNSでは誰も,「貴方は無罪でした」と認定してくれません.匿名と無責任とはそういう事です.もし誰かが「呼延灼の落語は聴いてられねぇ」なんて書き込んで信じる人がいたらどうしましょう.えっ?そりゃ本当の事じゃねぇかですって.帰っておくれ!今すぐ帰っておくれよ!!

明確な悪意といえば,本作に一人だけ悪意を持って行動した人がいました.新聞記者のキャシーさんです.他社を出し抜く為に真偽定まらない事柄をあたかも犯人と思わせる記事は,悪意と断じてもよろしいのではないでしょうか.その上で母親の声明発表の場で泣かれてもなぁと,ちょっと憤った呼延灼でございます.

また本作は外見至上主義に対する批判もあったような気がいたします.備品係の職務や学長とのやりとりを観れば,ジュエル氏が有能であることは明白です.が,その体型が原因で周囲から蔑まれていた事が,ブライアント弁護士との会話でわかります.教科書に掲載されるレベルの典型的な外見至上主義による差別でありましょう.もっともその体型がジュエル氏の寿命を縮めたのも事実でしょうけど.

いずれにせよ,ネットリテラシーの教科書として小学校の視聴覚教材にするように,どなかか文科省に掛け合ってもらえませんかしらね.