小松屋たから

リチャード・ジュエルの小松屋たからのレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
3.9
観終わってから初めて尺を確認したら、131分。
ところどころ、もっと詳しく知りたい人物背景や事件の詳細があって、「あれ、そこでもう次の展開?」「え、この人、ここで終了?」みたいな、何か、掘り下げ方を物足りなく思う箇所もあったのだが、実は2時間越えのそれなりの長編だったことに気づかされる。

これは、やっぱり監督の熟練のなせる技で、ポイントを絞ってある種ダイジェスト的に構成しながら核心を突いている、ということなのだろうか。何か物証による大逆転があるわけでもなく、「心象捜査VS心情弁護」、という点が新しい法廷モノとは言えるが、それゆえにすっきりとした勧善懲悪にはならないので、興行収入は苦戦するだろう。でも実際の犯罪立証、弁護はこんなものなのかもしれない。

被疑者として扱われる人間の心理はよくわかるような気がした。リチャードの「弱さ」にはイライラさせられるが、取り調べや捜査など、相手が強権を持っている場合、自分も同じ立場になれば、何とか気にいられようとして言う通りに行動したり、無理に愛想良く振る舞ったりしてしまったりするかもしれない。そこに付け込む捜査側の狡猾さは、おそらく古今東西、変わらない気がする。カルロス・ゴーンのような精神の強靭さを誰もが持っているわけではないのだから。

また、女性ジャーナリストの取材の在り方の描写が物議を醸しているようだが、真実は闇の中ながら、MeToo運動以降の現在の風潮にあわせて批判するのは間違っていると思う。きっと抗議を覚悟してその描写を採り入れたのはさすがのイーストウッドで、調査して事実だと彼なりに確信したので、世に迎合しなかったのだろう。もちろん虚偽だったら単なる謝罪では済まず、引退まで考え無くてはならないが。

ただ被疑者も弁護士もジャーナリストもFBIもすべてあえて既視感溢れるステレオタイプに描くことで、ストレートに当時の過ちを映し出したかったのではないか。そして、その過ちはきっと今も続いていることを制作サイドは意識している。

メディアへの警鐘、ということだけではなく、それを簡単に受け止め「覗き見」を楽しむ我々一般人の浅はかさ、権力を持つ者への戒めを多角的に描きながらも、「法の正義」への信頼は失わない。イーストウッドは、右でも左でもなく、イーストウッドなのだ、ということがよく伝わる映画だった