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リチャード・ジュエルのalmosteverydayのレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
4.0
何が良いかっつうとまず、説明過剰なところがなければ言い足りないこともなく、観客に結論を委ねるまでには至らないものの適度に余韻を残してくれる演出の妙が良かったです。すごく好み。こういうの大好き。

具体的に言うと、リチャードの実直にしてある意味潔癖すぎるとも言える人となりは時と場合によってはめちゃくちゃ面倒くさがられそうっていうか、運が悪けりゃ「空気読めよ」と一喝されてしまいがち、あるいはもっと端的に言えばウザがられやすい性質だと思うんですね。ついでに言葉を選ばず言うなら、30代にして母親と二人暮らし、かつ巨体という属性はそれだけで何かと見下されがちなんだろうなと観てる側にもある程度想像がつくわけです。実際、劇中でもアトランタ・ジャーナル=コンスティテューションの記者キャシーにはその出自ゆえ(ものすごく偏った)確信のもとに特ダネとしてすっぱ抜かれてそれで物語が大きく動くことになるんですけど、彼はあくまで等身大のありのままの姿で描かれるんですよね。それが故の可笑しみなんかもちゃんと押さえてくれてるんですよね。

冒頭では後に弁護人となるワトソンとリチャードとの交流が伏線として描かれるのですが、これを後から振り返る場面での独白がよかった…。何気ないエピソードから本人の人となりを表す演出、すごく好きです。「たった一人、あなただけが僕を人間扱いしてくれた(human being)」という台詞には、かつてアート・ブレイキーが日本を訪れた際の歓迎ぶりに感激して発したというあのコメントを思い出して目が潤みましたよね。ぐっと来ました。

ただし、ひとつだけ苦言を呈しておかなければならないのは、本国でもバッシングの嵐が吹き荒れたというキャシーの描きかたについて。性別やなんかはいったん置いとくことにしてみると、確たる根拠もなくリチャードのプライバシーを暴いた張本人として描かれるキャシーは本作におけるものすごく分かりやすい悪役ってことになるわけで、それはそれはもうものすごく分かりやすくて観ていてすとんと腑に落ちるんですよね。平和ボケした五輪絡みのほのぼのニュースに「勃たない(「ガツンと来ない」的な意訳と思われます)」と言い放ってみたり、ワトソンの車にシレッと忍び込んでリークを持ちかけてみたりして、90年代半ば(新聞社のオフィスにすらまだWindows95が登場してない!)の働く女性としてはめちゃくちゃ突き抜けた人物像としていきいきと描かれてるんです。オリヴィア・ワイルドも演じてて楽しかったんじゃないかな、これ。

ただ、話をややこしくしているのはモデルとなった実在の記者キャシー・スクラッグスが既に故人であり、かつ作中で描かれた取材活動のディティールにソースがないという事実なわけで。劇中にて「証拠もないのに僕を疑うのか?」と無実の英雄を称えておきながらその一方で真偽不明のエピソードをもっともらしく描くっつうのは片手落ちってか、ダブスタの謗りを受けても致し方なくね?って気がするのです。物語としてはめちゃくちゃおもしろかったんだけどな、でもやっぱなんかちょっとこうさすがにもにょるよな、死人に口なしだもんな、とは言えアトランタジャーナルの言い分は故人を慮りたい以上に体面を守りたい感強すぎるよな、っていういろんなあれこれでひたすらモヤモヤしたんでした。うーん。ジョジョ・ラビットで胸をずっきゅん撃ち抜かれたサム・ロックウェルは本作でもまた違った魅力をだだ漏れに発揮しておられましたけども!
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