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リチャード・ジュエルのsanbonのレビュー・感想・評価

リチャード・ジュエル(2019年製作の映画)
3.8
これは「欲」のお話。

昨今「イメージ」や「憶測」だけで人物像を形成し、それが一人歩きした結果その人の人生を踏み荒らし、追い詰め、最悪死に至らしめる事件が多発している。

発端になるような事は確かにあったのかもしれないが、その出来事だけで全人格を否定する事など到底出来るはずもなく、またそんな事してはいけないと義務教育で道徳の授業を受けていた僕らなら分かっている筈なのに、群衆の中で個人を特定されにくい環境になった瞬間、タガが外れた様に攻撃的になる人間は残念ながら多くいる。

また、人間には"三人の法則"という心理が働きやすく、3人以上になるとグループ・集団という概念が生じ「そのグループが同じ事をしているのには正統な理由がある」と認識するようになる。

例えば、人の行き来が激しい交差点の真ん中で、空を指差しながら見上げるという行為を行った場合、2人までなら指差す人の事を不思議そうに見ていた通行人が、3人になると指差す人と同じく空を見上げるようになるという実験がある。

つまり、人は多数派の行動に流される傾向が本能的に強く備わっている為、ネットなどの書き込みでも否定的なコメントが続くと、それを享受した人にとってもその意見がイメージの大半を占めてしまうのだ。

直近で言えば、とあるバラエティ番組内での暴言に非難が殺到し、その出演者であった1人の女子プロレスラーが、自ら命を断つという事件が世間を騒がせているが、あれも編集が施された番組内容しか知り得ない以上、実際のところ真実は不明確であるし、その女性にヘイトが集まるよう悪意をもって手が加えられた可能性だって捨てきれない。

しかし、それを不快に思わせてしまえば、そしてその意見が複数集まってしまえば、いとも簡単に"社会的抹殺"が可能な世の中に今はなってしまった。

ちなみに、僕もその問題のシーンだけ動画で拝見したが、その番組自体見た事がなく、その前後関係を知らない僕の目から見たら、何故こんな事だけで死ぬほど追い込まれなきゃならなかったのか少しも理解出来なかった。

それどころか、僕には衣装に気付かず乾燥機にかけて縮ませてしまったという、その男性の方が十中八九悪いように見えた。

そもそも、他人同士の男女が共同生活をしているというコンセプトの中、家具家電も全員で共有しているというのなら、男性ならば水回りは異性に対して特に配慮するべき点だし、ましてや洗濯なんて人によってこだわりは様々だし、自分が洗い物したいと思った時、中に女性ものの衣類が入っていないかは、万が一の事まで想定して当たり前に注意すると思うのだ。

そして、何より女性に咎められてる男性の態度が僕には、とても真剣に反省しているようには見えなかった。

ただただ意気消沈しているだけで、ゴメンとだけしか繰り返さないそれは、責任を負いたくないという思惑と、早くこの事態が収まってほしいという気怠さしか感じなかったからだ。

本当に申し訳ないと思っているのなら、指摘されていたように少なからず帽子なんて被っていられないし、申し訳ないと思っているのなら、解決策が浮かんでいなくとも、少なからずゴメン以外の言葉で話そうと努力はする。

仮に、先行きの立たない状態で動いた結果、自分を追い込む様な墓穴を掘ってしまったとしても、本気で自責している人間の行動ならば誠意は自然と漏れ出す筈だし、その方が意外と最悪の事態だけは回避出来たりするものだ。

だけど、僕には過ちを犯した男性からはそういった気持ちが一つとして感じてとれず、逆に女性の意見はど正論にしか聞こえなかった。

ましてや、仮にもこれから恋愛をしていこうと集まった場で、予期せぬトラブルに見舞われた時、あんな対応しかとれない自分を取り繕う事さえも出来ないとは、同じ男として情けなくも感じる程だった。

だが、僕も実際に自分の目で動画を見るまでは、他人の意見に同調していたし、非難の対象は女性にあった。

そして、動画を見た後のこの感想も、自分の意見であっても真実を知り得ない以上は、一側面しか見ていない"偏見"に他ならない。

人は、自分の意見を他人の意見で上塗りされてしまいやすいし、実体の見えないその感情にいとも簡単に囚われてしまう。

これこそが、顔の見えない集団心理の恐ろしさであり、価値と数の暴力が生み出した狂気といえる。

そして、今作はそんな集団心理の裏に隠された欲望を露わにする事で、歴史的冤罪事件を紐解こうとしている。

まず、今作の登場人物に共通している点は、全員が"仕事熱心"であるという事だ。

そして、主人公の「リチャード・ジュエル」もその一人である。

彼は、一切の妥協や忖度なく自分の信じる正義をひたすらに実行していく。

しかし、人の顔色を伺い空気を読みながら、"程よく規律に従う"のが俗に言う"社会性"と呼ばれるこの世の中では、彼の行いは顰蹙や嘲笑の的になってしまうのが現実であるのだが、それでも自分を曲げない理由はただ一つ、リチャードの欲望は自分を貫く事により満たされるからだった。

その為、正義感も一種の欲望と言える。

不利になるから発言は控えろと言われてもなお、自分の意見を隠し通す事が出来ないのも、間違いなく自分の信念を曲げたくない欲求からであるし、逆に欲望であったから溢れ出る衝動を抑えるのは難しいのである。

つまり、彼が正義を貫く欲望を満たし続けたその妥協のなさが、爆弾の発見に繋がり、そして疑われる原因にもなってしまったのだ。

次に、FBI捜査官の「トム・ショー」。

彼もまた、仕事熱心であり欲望に従順な男であった。

トムの欲望は、ズバリ手柄を立てる事。

功績を上げるためなら違法捜査も、でっち上げですら厭わない。

そして、リチャードの人生を狂わせる原因を作る事になる「キャシー・スクラッグス」という女性記者。

彼女が、一般公開されていない情報をトムからスッパ抜き、確信的なエビデンスがないにもかかわらず報道した事により、リチャードが矢面に立たされる事になるのだが、キャシーの欲望は言わずもがなビッグニュースを独占する事であり、その為なら自分の身体すら武器にする程である。

更に、マスコミの情報操作の力は厄介なほど絶大であり、オタク、引きこもり、自立性のない社会不適合者などはスキャンダルの格好の餌食となり、ママと暮らす独身の太った白人で、銃器を複数所持するリチャード・ジュエルという人物像もまた、典型的な犯人像として仕立て上げられていく。

そして、トムもそれに乗っかるようにリチャードにゲイ疑惑を持たせ、LGBTに風当たりが強かった時代背景をも利用して、外堀から埋めていくように徹底的に世論を味方に付けようと画策し始めるのだった。

このように、どんな事柄の裏にも必ず誰かの思惑、誰かの利があって、その利を勝ち取る為に誰かが犠牲となり、群衆はそれを知らずにただ踊らされ、自覚なき加害者となってしまっているケースは少なくないのかもしれない。

真実を完全に見通す事など何人たりとも出来はしないのだから、せめて自分の行動が先の未来でどんな意味を持つのかくらいは、考えたうえで選んでいきたいと思った。
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