シズヲ

雨月物語のシズヲのレビュー・感想・評価

雨月物語(1953年製作の映画)
4.3
戦国の世で出世や欲望を求めた農民達が辿る顛末。彼らの運命を悲劇と怪奇が容赦なく絡め取り、そして最後に一抹の救いへと繋がっていくまでの物語。当時のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、ヌーヴェルヴァーグ系の作家にも多大な影響を与えた映画。

所謂怪談のフォーマットが下地にあるものの、率直な筋書きの中に普遍的なテーマ性が込められている。怪異譚であり、教訓的な寓話であり、時代の悲劇であり、家族愛であり……。ジャンルとしての多層的な奥行きを備えながらもストーリーやメッセージ自体は分かりやすく、それ故に明快な娯楽性/ドラマ性を伴っている。

端正な撮影に幽玄なセット、ロケーションが生み出す画面の雰囲気がやはり秀逸。絵面の美しさが作中ですんなりと挟み込まれ、流麗な長回しが自然に描かれるのである。泥臭く生々しい時代の匂いの中に姿を現す幻想的な描写も実に印象深い。霧に包まれた湖を小舟で行く場面、枯れ木が忽然と佇む庭で源十郎と若狭が戯れる場面、そして朽木の屋敷跡で源之助が呆然と佇む終盤の場面など、要所要所のシーンの非現実的な美しさは凄まじい。そして本作の怪奇性の一端を担う京マチ子の浮世離れした雰囲気を始め、森雅之や田中絹代、水戸光子など役者陣の好演がいずれも良い。舞踊めいた音楽の数々も作中のムードを効果的に盛り上げる。

家族との生活よりも出世や欲望に飲み込まれてしまった農民達の顛末、それに巻き込まれた女性達の悲劇という構図からは、“人間の業”を戒めるような寓話性を感じさせられる。奇妙な運命に翻弄されるような彼らの姿から滲み出る、何とも言えぬ遣る瀬無さ。そんな無情な時代劇を怪奇性とシームレスに接続してドラマを成立させていることが印象深い。若狭姫は源之助を破滅させる“業”の象徴めいている。同時に本作、農民達の素朴な人間味が作中の悲劇性を際立たせている。源十郎も藤兵衛も根底には女房の存在があるし、女房を見放せるほど無情にもなれないのだ。

原作における異なるエピソードを繋げていることもあり、確かに農民達の悲劇と若狭姫の怪談は別軸の話が並列しているような毛色の違いを幾らか感じる。ラストにおける田中絹代のモノローグも少々美談的に纏め過ぎている気はしないでもないけど、それでも結末のおかげで本作は救いのある後味となっている。二人の農民は取り返しがつかなくなる前に自らの過ちを悟ることが出来るし、そこには間違いなく家族との愛情があった。そんな素朴な救済によって齎されるラストには何とも言えぬ安堵がある。
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