ケンシューイ

雨月物語のケンシューイのレビュー・感想・評価

雨月物語(1953年製作の映画)
4.7
長回しをするということ。

“世界のミゾグチ”の真骨頂。
アートなのに話しがわかりやすい。

最近の『カメラを止めるな!』とか『バードマン あるいは〜』とか大胆に長回しを使った作品もそれはそれで面白かったけど、溝口監督が長回しをすることで狙ってる効果には、各シーンを伝えていくための本来的な意図があって、もっと興味が深い。

時間と空間が途切れないということ。

怪談話なので主人公は多くの幻想を見ているけど、それを一つの空間の中で描写することによって、これを観てる側にはそれが現実なのか幻想なのかがわかるようになってる。これを複数にカットして繋いでしまってたら、何が何だかわからなくなってたと思う。一連の流れの中で物事が展開していくので、繋がりや関係性を感じ取りやすい。
それと、緊張感がある。女幽霊が出てくる話しなので、ただでさえおどろおどろしいところ。ビックリさせる目的なら、カットしていきなりアップとかにすればいいけど、これはホラーじゃない。無言の間合いの中で淡々と流れ続けるシーンの時間と、それを観ているこちら側の実際の時間とが等しくなるから、その張り詰めた空気感をより現実的に共有させられる。

テーマについて。
出世や金儲けなどの人間の欲は醜いもので、それによって家族や家庭生活などの大切なものが失われてしまう、というようなことを言ってる。が、そんなにきっぱりなのかどうか。戦争が終わって高度経済成長に向かっていた時代背景を想像して考えてみると、貧しい人がお金持ちになりたいというピュアな気持ちを完全否定したいわけではなくて、大切なものを失わない程度に豊かさを追い求めていきましょうね、というエールを送りたかったのではという気がした。

何事も適度に、適当に。
だから長回しのやりすぎも程々に。