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チャンシルさんには福が多いねのmaverickのレビュー・感想・評価

4.3
2019年の韓国映画。ホン・サンス監督の下で長年プロデューサーを担当した、キム・チョヒ監督の長編デビュー作。


本作の主人公は監督自身の投影とも言われている。有名監督の下で長年プロデューサーとして働いてきたアラフォー女性が主人公。作品内ではこの有名映画監督は死んでしまうが、このモデルはホン・サンス監督だろう。もちろんホン・サンス監督は存命で、未だ第一線で活躍中。そうした細かな違いはあれど、キム・チョヒ監督が業界で培ってきた経験や、彼女の考えなどが大いに反映されているのだろうと推測出来る。プロデューサーって誰でも出来るなんでも屋でしょと馬鹿にされたり、結婚もしていないことを追求されたりと、いろいろと悔しい思いもしたのだろう。

作風はホン・サンス監督と非常によく似ている。日常を切り取った淡々とした人間ドラマだ。主人公のチャンシルさんが好きな映画を小津安二郎と答えるところも納得出来る。そこでの力説から、監督自身が大好きなんだろうなと窺えた。作品性はホン・サンス監督とよく似ているが、そこに加味されたキム・チョヒ監督自身のオリジナリティが存分に発揮されており、そこが魅力だ。女性監督ならではの視点というのもそうである。

主人公は映画のプロデューサーで、華やかな業界人や芸術家でもあるわけだが、本作では彼女の人間的な部分にフォーカスを当てている。そういう職業の人であっても、一般人と変わらないごく普通の人間なのだと感じる。アラフォー女性が社会で感じる息苦しさに共感する話だ。さらにこの主人公は生き甲斐でもあった仕事を突然失う。今まで仕事に邁進し、それしか見てこなかった自分の現実を突きつけられるわけだ。自分が本当にしたいことは何か、何が自分にとっての幸せなのかに迷う。その姿には男女関係なく、大いに考えさせられるものである。

主人公のチャンシルさんを演じたカン・マルグムの演技が素晴らしい。
敏腕プロデューサーと言われればそうだし、一般的な中年女性のイメージでもある。仕事を失い、恋にも無縁で、この先の人生に希望を持てないこの主人公にぴたりとハマっている。強がっているけど、本当は悲しくて不安で仕方ない。その胸のうちを吐き出すシーンには思わずもらい泣きしてしまった。大人になったら強がることばかり。弱音を吐くまいとぐっと我慢して生きるのが癖になってしまう。「頑張ったね」って本当は誉めてもらいたいんだよね。チャンシルさんの生き方には共感があるし、元気をもらえる。彼女は本作で百想芸術大賞の新人演技賞を始めとした数多くの賞を受賞。2007年に30歳で舞台デビューという遅咲きの女優だが、今や引っ張りだこの存在である。素敵な女優さんだ。

チャンシルさんが間借りしている部屋の大家さんの役で『ミナリ』のユン・ヨジョンも出演している。韓国映画にはこの人ありと言わしめる存在感は流石だ。この作品でも存在感は抜群。何気ないシーンにじんわりとした温かみが溢れる。人生の晩年をどう過ごすか。この大家さんの生き方から学ぶことも多い。

ドラマ『愛の不時着』のキム・ヨンミンが、まさかの香港レジェンドスター役で登場。本作の中でも異質な存在でこれには驚きだったが、大いに笑わせられると共に、ただネタで配置したキャラでないことがよく分かる。じーんときた。ホン・サンス監督は絶対やらないような演出。ここはキム・チョヒ監督の天晴な部分だ。


前半は淡々としていて平凡だが、しっかりとこの作品の虜になる。『チャンシルさんには福が多いね』というタイトルに込められた意味が深い。何かを手放すことで入ってくるものがある。自分にはそれしかないと思い込むより、他に得られる福を大事にすれば幸せになる。良い教えになる素敵な作品だった。
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