亘

夏時間の亘のレビュー・感想・評価

夏時間(2019年製作の映画)
3.9
【"大人"へのステップ】
少女オクジュは父と弟ドンジュと共に夏休みの間祖父の家に滞在する。そこで叔母も一緒に過ごし様々な家族の問題に直面する。そして彼女自身も他人との関係の在り方を学ぶのだった。

夏休み、祖父の家、叔母と同居という非日常な環境で起こる出来事を長女オクジュの目線から描いた作品。昨年の韓国映画「はちどり」と比較されがちな作品だけど、「はちどり」は少女と世界の対面、本作は少女から見た"大人”や”家族の在り方"を描いた作品で主題が違うように思う。また主人公が同年代ながら「はちどり」の主人公は身勝手、本作の主人公はしっかり者という点も対照的だと思う。

本作の設定で効いているのは「夏休み」だと思う。平常時であればそれぞれ仕事や学校があって、会社員だったり中学生だったりそれぞれの肩書がある。しかし夏休みはそんな肩書が外れて父・叔母・長女という家族内での立ち位置だけになり、純粋に1人の人として見られることなる。普段見られない人としての振る舞いが如実に表れるのが夏休みなのだろう。

夏休み、少女オクジュは父と弟と3人で祖父の家に滞在する。そこに離婚寸前の叔母も転がり込み、非日常の大家族生活が始まる。一見楽しそうだけど、父も叔母もどこかに悩みを抱えている様子。とはいえそんな様子は子供たちに見せず、まずオクジュは弟ドンジュの奔放さに翻弄される。オクジュは、傍から見れば「しっかり者のお姉さん」でやりたい放題の弟を制止している。いわば大人びているのだ。そんな彼女は、背伸びして大人になりたいと思っている様子。彼氏には靴をプレゼントしたり、きれいになるために整形をしたいと思ったり、少女から大人の女性へと変わり始める段階なのだ。

とはいえ本作では、大人の弱さも描いている。オクジュの父は叔母と夜に2人でお酒を飲みながら思い出話をしつつそれぞれの考えていることなどを会話する。そこで話されるのは子供たちには話さないような内容だし、2人が話し合う様子は親や叔母としての姿ではなく昔から変わらない兄妹としての2人の姿。叔母はオクジュにとって理想の"大人の女性"のようで、オクジュの目の前では弱い面を出していないように見える。 しかし子供たちに見えないところで大人たちは苦しい胸の内を明かしているのだ。

しかしそんな大人たちの"弱さ"や"身勝手さ"が露呈される時が来る。まずは叔母の夫が突然訪問してきて叔母を悩ませる。そしてオクジュに結婚相手に求める条件の話をする。一方で父親は祖父を施設に送って祖父の家を売ろうと内覧をし始め、さらには偽物の靴の件や、オクジュの反論への言いがかり。しっかり者のオクジュにとっての大人観は崩れたかもしれない。

また母親もオクジュの”大人観”を崩す存在の1人。両親の離婚後、父についてきたオクジュは母親のことを良く思っていない。だからこそ母からプレゼントをもらって喜ぶ弟を許せない。とはいえその母親は自身の義父であるオクジュの祖父の葬儀に律儀に参列しオクジュたちに贈り物までしてくれる。それまで憎んでいた母親は完全な悪者ではないのだ。まさに完全な白黒では分けられないグレーな人物である。

ラストシーンの手前で、オクジュは突然涙が止まらなくなる。これはオクジュの中での”大人観”の混乱だと思う。もちろん祖父の死の悲しみもあるだろうが、母親が完全な悪者でないことや父親のいう通り祖父の家を売らなければならないかもしれないことなど、それまで持っていた善悪の分かれ目や完璧と思っていた大人観が崩れたことで自分の理解が追い付かなくなったことによる涙だと思う。一方でそんな泣きじゃくっていた彼女もいつしか忘れてしまったかのように安らかに眠り爽やかな朝を迎える。

そんなラストはもしかしたら眠ったら忘れてしまうオクジュがまだ少女であることを表しているのかもしれない。それでもオクジュは”大人”が何たるかをこの夏で学びそれに向けて一歩進み始めるのだ。

印象に残ったシーン:葬式でオクジュが母親と対面するシーン。オクジュが泣いた後ぐっすり眠るラストシーン。
亘