ハリボ

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のハリボのレビュー・感想・評価

4.5
【2020年160本目】

支配から、目を覚ませ。

原作読了済です。
映画をみて何故今、空前の鬼滅ブームなのかがわかった。

素晴らしいアニメーションと魅力あるキャラクターはもちろんなのだが、今作において最も素晴らしいのはシナリオだと感じた。

今作は無限列車内とvs猗窩座戦に大きく二つに分かれる構成となっているが、どちらも現代の自分たちへ強いメッセージを送っているように感じた。

無限列車内では、生きることとは何かを語っている。
無限列車の乗員は、現実を諦めて眠ろうとする。鬼の力で好きな夢をみせてもらって、生きようとする。
これは他人の力を使って生活する現代人と同じだ。
会社に依存し他人に依存して、自分の力で生きようとはせずに、何かに執着して生きていく私たちに警鐘を鳴らしている。
みんなが現実を諦めているから、自分も同じように他人の力で楽ができればいい。
決まったレールを進む無限列車の乗員には、下弦の鬼に支配された世界でしか生きることができない。
無限列車の乗員は、伊之助のように列車から出て競争しようと思わない。
他人に支配されることを望んでいるから。
それは生きていると言えるのだろうか。

猗窩座戦では、死ぬことはなんなのかを物語る。
鬼は永遠の時を生き、傷もすぐ治る。
対して、人間の鬼殺隊は毎度不利な状況を強いられなければならない。

「お前も鬼になれ」

圧倒的な強さを持つ猗窩座は、煉獄に詰め寄る。
強くなるには無惨の血を飲むしかないんだと鬼の素晴らしさを語る。
では、なぜ鬼になってはいけないのか。
それは支配されてしまうから。

本編のラストはとても悲しい。
しかし、あの人は悲しい結末を迎えたのだろうか。
僕はそう思わない。
あの人は、自分の使命を全うした。
自分にしかできない生き様を証明して守り抜いた。
きっと幸せだったのだと思う。
鬼の末路は悲しいものが多い。
救われなかったものの怨念が、無惨というものに利用されてしまっているからだと思う。
明日、死ぬとしたらいい人生だったと思えるのか。
今自分がしていることに悔いはないか、これは道半ばだったとしても一生懸命に生きたと胸を張っていえる指標だと思う。
だから死を他人の理由にしてはいけない。
鬼は全ての理由を無惨に任せてしまってる。

コロナ禍の渦中、こういった作品にフォーカスが当たるのはみんなの深層心理に生と死が存在するからなのだと思う。

列車内で問いかけられる、生の中の死。
猗窩座との闘いで描かれる、死の中の生。

自分の人生を生きなければならないと強く思える、素晴らしい作品でした。
ハリボ

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