April01

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のApril01のレビュー・感想・評価

3.9
原作漫画は未読ながらアニメを全部観てから鑑賞したので、違和感なくスーッと世界観に入っていけるメリットはあった。
感想のポイントは2つ。

1つ目は、昔ながらの、言うなれば日本的な上下関係と組織の描き方の上手さ。
今の世の中、実力主義、成果主義、結局その行きつくところ、自分さえ良ければいい、自分さえ生き残ればいいという、個人主義、利己主義に陥っていると思うことが自戒も含めてしばしばあり、自分はもしかして鬼かもね、なんて思いながらアニメは楽しく一気見できた。
会社や国という組織の為に働き、ついでに今後のために後輩を育成するなんて、考えようによっては本当に馬鹿らしい。
でもそういう生き方が、昔はレベルの高い人たちほど当然だった。
アニメで炭治郎がくどさを感じるほどに「自分は長男だから」と何回も繰り返し言う場面があり、長男か次男か、家庭内での序列へのこだわりが全編通して貫かれているのも特徴的。
鬼殺隊員やそのトップの柱たち個人にしてみれば、それぞれ動機は違うし元をたどれば、滅私奉公ではなく、超個人的な理由から行動に至っている、とは思うものの、最終的には鬼を滅するという大義の元に組織として一致団結している点が、現代社会に生きる私たちからすれば、当たり前のようでいて、実はとても新鮮に見え、極端に言ってしまえば憧れにまでなりえているのではないかと。

2つ目は煉獄と猗窩座が繰り広げる闘いの中に、哲学的な生死の問いかけにも見える深さが見える点。
猗窩座は煉獄に対してお前は強いのだから鬼になれ、という。この「強さ」とは何か、強いものはどう生きるべきか、弱いものを食い物にしてさらに強くなり永遠の命を得るのか、いや、そうではない!と煉獄は闘いの中で答えを提示する。と同時に、有限の時間であるからこそ儚い命を生きることが美しい、というモチーフのドラマチックな描き方が心に迫る。
その「時」に至っても後輩に教える姿勢を保つ精神力の強さと、そしてポイント1に戻るけれど、究極は家族というごく小さな組織の中の自分であり、生を与えてくれた母との対話という大きなスケールから小さなスケールへの持っていきかたが自然で、観る者の共感を得ることに成功していると感じる。

関係ないけどジョジョの6まだ?待ってるんだけど😁
April01

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