ヨーク

ラーヤと龍の王国のヨークのレビュー・感想・評価

ラーヤと龍の王国(2020年製作の映画)
4.0
久し振りにディズニーの新作をスクリーンで観たわけですが、いや面白かったな。もう流石としか言いようがない出来でやっぱすげぇなぁ、と思いながら観ていましたよ。
これは本作を語る上で外せない要素だと思うので感想の本題に入る前に書いておくが、本作は天下のディズニーのアクション大作なので楽しみにしてた人も多いのではないかと思うけれど、いざ観ようと思って最寄りの劇場とかを調べてびっくりした人もいるのではないだろうか。そうなんです、本作『ラーヤと龍の王国』は東宝のTOHOシネマズや松竹系のMOVIX、あと東映系のティ・ジョイといった主要なシネコンではかかっていなくて普段のディズニー作品と比べたら公開規模は縮小されているんです。いつもディズニーの映画観てる劇場でやってないじゃん! なんか行ったこともないミニシアターの上映になってるじゃん! という人も多かったのではないだろうか。とはいえ全国250館くらいの劇場でやってるらしいので縮小されたとはいえ観る機会がないというほどではないとは思うけれど、まぁディズニーの新作にしては地味な展開というわけです。
そうなってしまった原因としては簡単に説明すると実写版『ムーラン』と『ソウルフル・ワールド』が新型コロナの影響を受けてどちらも劇場公開を取りやめてDisney+での配信のみになったということが大きいと思われる。俺はそこそこ劇場に行く人間なので『ムーラン』なんてもう予告編だけで本編のランタイムと同じくらいの時間見たんじゃないだろうかという気さえするほどで、要するにそれだけ劇場の予告編で宣伝しまくっていたわけだが結局は劇場にかかることはなく結果としては劇場にとっては何の得もないDisney+で独占配信する作品を宣伝していたという間抜けなことになってしまったわけだ。それだけでなく劇場で売る予定だったパンフレットやグッズも全て空振りに終わったことだろう。しかも上述したように『ムーラン』だけでなく『ソウルフル・ワールド』も配信送りになったので全国の劇場は二度裏切られたわけだ。その損害がどの程度の額なのか俺は具体的には知らないが大手のシネコンがディズニーにそっぽを向いてしまう結果になってもそれは仕方ないだろうと思う。個人的にも、俺は劇場で映画を観ることが好きな人間なので心情としては劇場寄りでディズニーは不義理だなぁ、と思いますよ。
と、まぁそういう経緯のあった作品なのだが映画の感想としては最初に書いたように、面白かったなぁ、というものなのだ。いやかなり面白かったですよ。
お話は東南アジア8、中国2くらいの世界観の架空の国が舞台でその国はかつて聖なる龍たちに守られて人々は平和に暮らしていたらしい。だがそこに邪悪な魔物が攻めてきて龍たちは自らを犠牲にして国を守る。そのときに龍たちの力は一つの石となり残された。そして数百年後、かつては一つだった国は各地域ごとにバラバラになりお互いに牽制し合う小国が乱立するようになっていた。主人公ラーヤはその小国の一つの王女で伝説の龍の石を守る家系の人間だった。ある日父が各小国の代表者を集めて互いの親睦を図ろうとしてラーヤは同じ年頃の砂漠の国の王女と仲良くなるが、その少女は実は龍の石を狙っていたのだった。なんか知らんが龍の石は持ってるだけで凄い繁栄をもたらすらしい。だからラーヤの国だけがその石を持ってるのはズルい! というわけだ。他の小国の長たちもそれに便乗して石を奪おうとするがよくあるパターンで争い合ってるときに石が割れてしまう。そうするとかつて悪さをしていた魔物が復活。世界は再び危機になるが小国の長たちは石の欠片を自国に持って帰って、その石の力で自分たちだけが助かればいいと言わんばかりに引きこもってしまう。その数年後、成長したラーヤはバラバラになった石の欠片を探して一つに戻すために大河沿いにある各国を巡る冒険に出る、というものである。
あぁ、あらすじ書くだけで疲れた。上記のあらすじは映画開始から10~15分くらいで語られるのだがさすがにちょっと詰め込み過ぎではないだろうかという気はする。だが多大な情報量をわっと浴びせて一気に駆け抜けるのは序盤だけではなく、ラーヤの石探しが本格的に始まってからもドンドコ速い展開で進んでいくのだ。そこもっとゆっくり観たいなぁ、と思ってもお構いなし。物語は次へ次へと加速していく。その辺はマイナス要素としてとらえることもできるだろうが、俺的にはなんか快感で楽しかったですね。たとえばクラシック音楽で60分くらいの4楽章からなる交響曲があったとして、その構成は崩さないままに15~20分くらいの1曲に圧縮したプログレの楽曲のような情報がギュッと圧縮されて詰め込まれているような快感が本作にはあるんですよ。
記号的で情緒に欠けるといえばまぁそうかもなとも思うけれど、これはこれで楽しかったからアリではないかなぁ。もちろん、本作を100分ちょいの映画ではなく1~2クールのテレビシリーズの尺で見てみたいというのはあるんだけれど最初から最後までダレることなく観れる尺の中にやりたい要素を詰め込むというのもおもちゃ箱的な楽しさがあって良かったですねぇ。次々と面白いアクションが出てくるので飽きないんすよ。
ちなみに本作はマウイの伝説を下敷きにした『モアナと伝説の海』と同じ路線で異国の神話や文化をサンプリング的に抽出しながらそこに我らがアメリカの物語を乗っけてやろうという、俺としては基本的には嫌いな設計思想の映画なのだが(『モアナと伝説の海』という作品自体は好きですが)、本作は『モアナ』のときに感じた雑さよりも数段洗練された作劇術を見せつけられてそこも凄かったですね。いや、そこは単純に褒めてもいいものかどうか迷うところでもあるのだが…。
要は東南アジア的な世界観プラス中国っぽい雰囲気という色を該当する国や地域にウケるためだけの媚びとして採用しているわけではなく、現実の政治や国際的な問題にかなり直結する生々しくて挑戦的な仕上がりになっているんですよ。本作ではそういうテーマが全面に出てくるわけではないが龍の石の力を独占していたラーヤの国と、その恩恵にあずかれなかった周辺諸国との対比というのは、強大な軍事力と膨大な資源を持った中国とその周辺諸国との対立を思い起こさせるんですよね。中々センシティブなテーマではあるのでそこは大きく取り上げられないけど多分裏テーマ的にはあるんじゃないかと思いますよ。『ムーラン』でウイグル自治区に関する配慮の件で問題があったことは記憶に新しいが、それはそれとして本作には中国の帝国主義に対する批判は込められていてそこは素直に感心しましたね。
でもそこは匂わせる程度に留めておいて、結局はアメリカの問題が描かれる。あらすじで触れた本作の悪役である魔物なんですが、それが意思のある悪役というわけではなくておそらくは新型コロナに着想を得た悪意のないまま伝播していくウイルスのように描かれているんですよね。そうなると問題として浮き上がってくるのは悪意のある敵と戦うことではなく、同じ地域で共に生きる者たちが分断されずに同じ問題に立ち向かわなければいけないということなんですよ。20年のアメリカのトピックとして記憶に新しいのはコロナ禍、人種問題、大統領選、とあるがどれにも共通するワードとして分断という問題があった。それぞれの問題で立場の違う者同士がお互いに信頼することができないという分断の深刻さ。それこそが本作の乗り越えるべき問題として描かれるんですよね。なんだよ、異国のモチーフを使って結局自国の問題を語るのかよっていう、そこは正直どうなのよと思う部分ではあるのだが、その技術というかメソッドは『モアナ』の頃より格段に進歩していてより深い部分を抉れるようになっているのである。そこちゃんとアメリカの問題として描けよと言いたいところはあるのだが、まぁ映画として面白いものを作られているので文句も言いにくいっすね。さらにさらに言うと、その分断というのは歴史的なコロナ禍や人種問題や大統領選にだけかかってくることではなく、上述したように本来なら劇場でやる予定だった作品を新型コロナのせいで配信送りにしたことによるディズニーと日本の劇場との分断にも当てはまるのだから、何というかすごく色々なものを象徴するような映画になったものだと思う。
感想が長くなってきたので後は簡単にまとめるが、そういう面倒な部分を抜きにしても本作はめっちゃ面白かった。まず主人公の相棒兼マスコットキャラがダンゴムシっていう時点でもうこの映画を愛するしかない。どんな判断なんだよと思うがトゥクトゥクはかわいくて格好良くて頼れる奴だったので最高でした。
あと、タイトルにもある龍ね。龍のデザインと設定。特に飛翔の描写は舌を巻きました。俺は吹き替えで観たんだけど高乃麗が演じるシスーは本当に素晴らしかったなぁ。いやだって伝説の龍がのべつ幕なしに喋りまくるあんな人懐っこいおばちゃんキャラだなんて思わないでしょ。すんげぇ良かったよ。龍、もしくは竜ってのは西洋風と東洋風でイメージが固定しかけてたけど本作の龍は素晴らしかったですねぇ。
まぁ色々思うところはあるけれど総じて面白かったです。やっぱシリーズもののアニメとして見てみたいなぁという気持ちはあるけど、どうすかね。作り込まれた設定に比して描かれてない部分が多いからいけると思うんですけど。スピンオフでもいいからやってほしいなぁ。
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