Filmoja

ラーヤと龍の王国のFilmojaのレビュー・感想・評価

ラーヤと龍の王国(2020年製作の映画)
4.5
久しぶりのFilmarks、しばらく放置しておりました。
昨年から続くコロナ禍の余波は未だ予断を許さず、映画業界も延期や配信でのリリースなど、新作公開の苦戦が続く中で何とか踏ん張っている状況で、自分も劇場未鑑賞の旧作を観に行ったりと、レビューの機会もないまま3月も半ばを過ぎてしまった。

そんな中、娘と今年最初の新作鑑賞となった本作。
人々を魔物から守る龍の石を巡る、ラーヤと仲間たちの冒険活劇。
舞台は東南アジアを模したような世界観で、昨年の実写版「ムーラン」に引き続き、アジアに目を向けた多様性を重視しつつ、市場の大きいビジネス戦略としての側面も垣間見えるものの、私たちにより親近感のあるヒロインはやはり嬉しい。

その昔、世界は“クマンドラ”と呼ばれるひとつの国だったが、ドルーンと呼ばれる実態のない魔物によって脅かされ、龍の神々が“信じる心”の力で自らを犠牲にして魔物を退治し、平和をもたらした代償に5つの国々に分かれ、信じる心も次第に失われていった…。

というような解説が冒頭から始まるのだけど、それぞれの国に民俗や特徴があり、それに伴う事情や思惑など国同士の駆け引きの描写は、さすがに小さい子には難しいかな…と思われるけど(大人でも混乱しそうになる)、それから先はラーヤの気持ちや想いに寄り添って描かれるので、完全に理解できなくてもある程度楽しめる親切設計は、さすがディズニー品質。

活き活きとしたアクションも見どころのひとつで、キャラクターの身のこなしやトゥクトゥク(タイの乗り物?)の疾走感、戦闘シーンのリアルな躍動感は見ごたえ抜群。
美しいアニメーション映像は言わずもがな、雨粒や水のしずく、海や河の雄大さ、そして何といっても龍が泳いだり(!)空を舞うシーンの神々しさは息をのむほど(娘ともいちばん好きなシーンが一致)。

その龍の神であるシスーのユーモアあふれるコミカルでお調子者な性格とのギャップがまた可笑しくて、娘とも度々吹き出してしまう(マスク着用、周りの方々ごめんなさい)。

「アナ雪」のオラフや「ファインディング・ニモ」のドリーを思わせる、シスーの世間知らずで無邪気なキャラクターが序盤のシリアスな展開にホッとひと息できる潤滑油的な存在として、(実際)ひときわ輝いていた(実写版「ムーラン」もムーシューを登場させていれば…)。
のちにラーヤのメンターともなる大事な役回りなのだけど、変に上から目線ではないコンプレックスを抱えた等身大の姿が、また共感できる一因になっていた。

等身大といえば、これまでのディズニープリンセスとは一線を画すラーヤの人間らしい戸惑いや哀しみ、迷いや疑いもまた新鮮なヒロイン描写で、男性(王子様)の愛情ではなく、仲間の絆と、和解や友情によって苦難を乗り越え、一歩踏み出して信じる勇気を体現するたくましさといった、まったく新しいヒロイン像に圧倒される。
父を救いたいという純粋な想いが世界とつながる斬新さ。近年のディズニー作品の中でも出色だし、今の時代にこそふさわしい。

個人的にも、過去に信頼していた相手に裏切られたり(原因の一端は自分に)、近隣の住民トラブルに見舞われたりと疑心暗鬼に陥っていた部分もあったので、本作の“互いに信じ合う”というメッセージには胸を衝かれ、自身を省みてダイレクトに胸に響いた。

ドルーンをウイルスになぞらえれば、このコロナ禍を生きる私たちにおいても、互いに牽制し合い、自分さえ良ければいいと排他的にならざるを得ない保守的な現代社会において、価値観も文化も環境も違う様々な人種や民族が手を取り合い、共に新しい世界を作ろうという姿が(まるで「ジョンの魂」が今も生きているよう)、分断を乗り越えようという希望を映し出すひとつの理想を描いた傑作だった。

娘の世代には、ラーヤのような優しさとたくましさで、平和と融和の道を歩んでいってほしいな…と切に願う。


米ディズニーの意向(ディズニー+との同時配信)や劇場側との軋轢(大手シネコンでの公開見送り)など、様々な事情で上映館が少なかったり、事前のプロモーションがほとんどなされずに興行収入が伸び悩んでいるけど(地方のシネコンで日曜の昼間の回で客入りが4割…)、こんなに素敵な作品が多くの人に届いていないのはもったいなく思う。
普段あまりこんな事は言わないけど、観られる環境の方々はぜひ、できれば劇場での鑑賞をオススメします!
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