イライライジャ

ジャッリカットゥ 牛の怒りのイライライジャのレビュー・感想・評価

3.0
インドの映画や文化をよく触れる人間からしたら本作はインド映画でよく見る暴動や騒ぎにしか感じない。しかしインド映画をあまり観ない人からしたらどうだろう。異常と感じるのではないだろうか。
この映画、まさに肝はそこなのだ。
つまりインド人が日常的に行なっていることが側から見れば異常ということを描いており、痛烈に批判もしている。だとすると客観的な視点のロングショットが多数なのも頷ける。
まあ受け取り方次第でいろんな解釈できるので、あくまで私の一個人の感想に過ぎないが。

ジャリカットゥは主に南インドのタミルナードゥ州で毎年ポンガルの季節に行われる牛追い祭りである。毎年死者が複数人出ている危険かつ人気な祭りだ。また、牛を制止するために刺したり暴行することなどから動物虐待と避難されては禁止され、しかしその度に祭りをさせろと群衆が怒り騒ぐ。その繰り返し。
その祭りの名前がタイトルになっているのに、祭りの映画ではないことに驚いた。

本作は舞台も製作もケララ州。タミル州の隣だが、ジャリカットゥは行われない。劇中にジャリカットゥという単語は出てこない。
つまり見方次第では、タミル文化を冒涜しているとも取れる。実際にタミル人は本作を観てそう思う人も少なくない。

インドでホラー映画が少ない理由に、国民の半分以上がヒンドゥー教だから描写に限界があるという理由がある。なのでインドで世界水準のホラーを撮る際に、舞台をキリスト教の村にしたり、主人公をキリスト教徒にすることがある。本作はホラーではないがまさにそうだ。そうすることで描写の幅をグンと増やすことが出来る。

牛1匹と人間1000人という構図、これはインドの叙事詩マハーバーラタの1対1000を想起させる。人間と動物を逆転させるとこうも恐ろしいのか。

ジャリカットゥさながらの異常な牛追いが日常生活のなかで起き、人々の狂気が垣間見える。
例え祭りでなくても、インド人の中に眠る暴力性が呼び起こされたときに何が起きるか。集団主義のインド人、ましてや田舎だとどれほど恐ろしいことになるか。
群衆から狙われる未熟な牛が見る人間の狂気!!