町にやってきた司祭が
実は少年院から出てきた偽物の司祭だったという可能性に溢れたプロットのみに頼らず
内容で魅せるというスタイルに惹かれる。
また、どの人物にもあまり寄り添うことなく第三者視点で構成することで
観る側に受け取り方を委ねるという手法が良かった。
カメラ割りも優秀で
表情を撮る際の構図や町の映し方など工夫が見られた。
さて、人が罪を犯すとき
しばしば「ラインを越えた」と表現されることがある。
しかし、私はこの表現が全てに当てはまるとは思わない。
人生という道で、歩みを進める我々の目の前にあるのは、明確なラインではなく、下り坂ではないだろうか。
欲望や本能に駆り立てられた人間が
下り坂に一度足を踏み入れると、落ちていくのは非常に簡単である。
しかも、ほとんどの人間が下っていることにすら気が付かない。
そして、来た道を振り返ったときに初めて
自分がしたことの愚かさに気付かされるのだ。
つまり、人間の行動の入り口には
善と悪という明確な境界などないのだと思う。
そのことを踏まえて
マタイによる福音書 第7章の
"人を裁くことなかれ
しからば汝らも裁かれざらん"
という一節を思い出してみる。
我々は、人の罪を裁くのではなく
まず自らの罪を見つめ直すべきなのだと感じる。
善と悪・裁きと赦し などの、人間を取り巻く様々な要素の難しさを感じる作品だった。