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聖なる犯罪者のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

聖なる犯罪者(2019年製作の映画)
3.0
【緑の教祖の眼光が市民を貫く】
第92回アカデミー賞で国際映画賞にノミネートされたポーランド映画『Corpus Christi』を観ました。仮想世界の持つ悪魔的世界を描いた、邪悪版『レディ・プレイヤー1』こと『ログアウト』を放ったヤン・コマサ監督が人間の本音と建前の世界を描いてみせた。前哨戦であまり目立っていなかった本作が突如アカデミー賞にノミネートできたのは、アメリカが強烈な指導者や理論に振り回されがちでそこに親近感を得たからなのではと思っている。そんな『Corpus Christi』の感想を書いていく。

少年院の製材所、秩序良く作業が行われているかと思えば、見張りが鋭い眼光で画面の外側を睨む。そして背後では凄惨なイジメが行われる。カメラはぐるっと見張りの後ろに回り込み、自然な流れでいじめは一時中断する。何故ならば監視がやってきたからだ。この一連の流れは、本作における本音と建前の構造を暗示していると言える。建前上は、問題なくやっているように見えて、実は裏では問題を抱えている。そんな世界をヤン・コマサ監督は描こうとしているのだ。

少年院上がりの熱心なキリスト教徒であるダニエルはヒョコんなことから、神父になるチャンスを得る。彼は神の世界を信じているため、全力でミサを行う。Bartosz Bielenia演じる主人公の眼光は鋭く、緑の正装でミサに励む様はもはや教祖そのものである。危なげながらも魅力的な彼に信者が集まって来る。そして彼は献身的に弱きものを助ける一方で、村に蔓延る憎悪を吐き出す場を提供する。信者が多数集まる場で、感情を吐露させる。中には、「このクソビッチが!」と汚らしい言葉を吐き出す者もおり、信者はドン引きするものの、「何がいけない?」となんとなくの感情でドン引きする市民を封じ込めるのだ。これはある意味、宗教が感情的なものに支配され、一見正論に見えて矛盾に満ちていることを示唆している。そして善人であり続けようとするダニエルですら、少年院上がりだ。

だが、そもそも問題を抱えた者が改心して神学校に入ろうとしても入れない状態自体矛盾しているのではないだろうか?

人間の表と裏を、ダニエルという個という存在と村という群の存在を通じてひたすらチクチク突いていく。

Black Lives Matterやコロナにおける歪な対立構造が次々と起きている中で本作は特効薬と言える。そして、本作は日本でも公開されなくてはいけない作品だと感じた。そういった政治的話だけではなく、冒頭とラストの凄まじいカメラワークは必見である。日本公開は未定ですが、観られる日が来ることを期待したい。
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