トルコのクルド地域の村、ハルコ。
道なんて概念が消えてしまうように広がる大地の中に、平べったい家がぽつり、ぽつりとある。
宣伝文のなかに"「家族」の喜怒哀楽"という言葉があるけれど、わたしは喜びの場面さえ、そこに哀しみを見出した。
一家の女たちが集まり、鉄板の上で白い生地を焼く。焼きながら36歳の次女が結婚の相手を選り好みしているのだと、責める。ある者は出稼ぎから帰ってこない、たまにしかお金を入れない子どもとわたしを置いて出稼ぎにでかけた夫の話をしながら泣く。泣き喘ぎながら語り、歌う。
男たちが村にいないことの寂しさ、男だけその孤独や村の生活を背負うことなくのうのうと生きている事への怒り、大切にされない哀しみ全部を皆が分かち合っているのに、"結婚"という制度、"ハルコ村"、"家族"から逃れられないのだ。
貧しくて、男手がなくて立て直すことのできない牛舎。唯一の雄牛が逃げた。
ハルコ村には子どももいる。瞼を閉じ、映画を思い出すと女と子どもが、永遠にその村に繋がれてている事の悲しみが蘇る。いつまで続くのだろう。
でもね、男が女を置いて出稼ぎにでなければいけないのはなぜって考えたら日本人としてのわたしの生活は、彼らの痛みの上にあるよねって思ったよ。