松井の天井直撃ホームラン

すばらしき世界の松井の天井直撃ホームランのレビュー・感想・評価

すばらしき世界(2021年製作の映画)
-
☆☆☆☆★(1回目)

☆☆☆☆★(2回目)

原作読了済み。

※ 原作を読み、予めに要約した読後のレビューを書いてはいた。
映画本編鑑賞直後には、(作品の出来の)素晴らしさに感激して、勢いと情熱のみで突っ走ったレビューを書きなぐり。もうあと少し…と言うところで、訳あって一旦休憩。
さあ!もう少しでこの長文も完成…と思ったら、、、痛恨の押し間違えから、近年では自分としてもかなり満足出来る内容だったレビューが脆くも泡と消えてしまった。

_| ̄|○ もう死んだ! 余りのショックに寝込みたくなった程。
翌日に観に行く予定だった洋画2本も一気に観る気が無くなってしまった。
(夜中に起きた地震の影響は少なからず有ったのは事実だけど…)

何しろ本編は、〝 傑作 〟との称号は多くの作品に当てはまるとは思うのだけれど。〝 真の傑作 〟と呼ぶに相応しいくらいに【崇高な高みへと昇って行った】作品だったのだから。
少なくとも、2000年代に入ってから公開された日本映画の中で、間違いなくトップ中のトップに位置する作品だと思ったから…それゆえに、自分のレビューが消えてしまったショックは大きかった。


日が経ってやっと再度レビューを書く気にはなったものの。やはりレビューってヤツは、鑑賞直後に書く【情熱と勢い】こそが、最良のレビューになる…と思っている。例えその文章に大いなる間違えや勘違いが有ったとしてもだ💦
(コレ、、、いっもやっちゃうんだよなあ〜!勿論間違いはしっかりと正しますが…)

…との恨み節は(出演者の中に梶芽衣子が居たから…って訳ではありません( ̄^ ̄)キッパリ)まあ、この辺に止めて改めてレビューを。




原作は元ヤクザで殺人で長期間服役した男が、《現代の浦島太郎》として社会に戻るが。堅気になる為には、生きづらい社会になっていて。それに抗いながらも、必死に生きて行く姿を描いている。

実は、原作を読んだ人ならば分かるのだが。彼の中では大きな変化が起きてはいるものの。(原作の中では)特別に大きな事件等は起こらない。
勿論、近隣とのトラブル等多少の揉め事は起こるものの。警察が介入したり…と言った、大事には至っていない。

と言うのも。ひとえに、彼が生活をするにあたり。周辺の人々が彼を手厚く支え。且つ、様々な面倒を見てあげる。
絶えず、「それは駄目だよ!」「何で我慢出来ないの!」…と、この男に皆んなが甲斐甲斐しく関わって行き。道を踏み外さない様に見守って行く。
何故ならばこの男、確かに罪は犯したものの、人として誰よりも…

【純粋で情に熱い男】 だったから

そんな人物である彼は、正面から周りの人に包み隠さずに己の姿をぶつけて行く。それに周りの人達も次第次第に巻き込まれて行ってしまうからだった。

しかしながら、そんな彼にとっては。何かと世知辛く生きにくい世の中であるのは変わりない。
だからか?常に癇癪を起こしては周りの人に迷惑をついついかけてしまう。
彼にとってはそれらの一つ一つが、口では「何でですか?」と怒りながらも。心のどこかで、自分のだらしなさを感じてしまう為か。その怒りを発散出来ずに、もどかしい思いを日々繰り返す毎日が描写されている。

そんな生きづらい世の中で喘ぐ彼のところに、映画は原作には登場しない津乃田と言う人物が密着し始める。
とは言え原作には、当初ライター志望の男が存在していたのだが。このモデルの男が時折見せる暴力性に怯んでしまい、いつの間にか居なくなる。
映画は、途中からその津乃田とモデルの男の交流を通じながらの〝 母親探し 〟へと発展して行く。

元々原作では、何度も元妻への連絡を試み。最後にデートへとこぎつける。(但し男の子付きだが)
そんな展開ではあるのですが。それを敢えて外し、別の方法へと変えた事で。スンナリと母親探しの旅へと移行出来ている。
実はこの辺りの描写こそが、監督西川美和本人としての《クリエイターとしての挑戦》であり、更には《女としての独特なカン》が働いた結果…なのではないか?と私は思っています。


津乃田=西川美和

復刊された原作には、後にこのモデルになった男が福岡市で一人寂しく孤独死をする。その後に判明し、また更なる謎だけが残った部分等を含めた《顛末記》を書いた「行路病死人」が掲載されている。

最初に、原作自体には特に事件等は起こらない…と書いた。
この「行路病死人」に於いても、(多少のいざこざを除いては)特別に大きな変化が起こる訳でもない。
ないのだが、この《情に熱く皆んなから構ってあげたくなる》男の最期に立ち会えた人達の、その〝 思いの共有 〟が文章から感じられる。

東京の安アパートの下に集った市井の名もない人達。

福岡市で男の最期を看取った出版・役所関連の人達。

そのどちらにも、熱い人間性が溢れている。

だからこそ…だと思うのだが。このモデルとなった男の最期に、クリエイターとしての興味を掻き立てられながら、、、

《その人々の中には入って行けなかった》

そんな思いを持ち続けていた…と思えるのが、監督西川美和本人の〝 もう一つの寂しさ 〟だったのだと思う。
それだけに。本来ならばスーパーの店長で町内会会長が、何度も何度も言い含める様に諭した「暴力では何も解決しないよ!」との言葉を、津乃田に言わせているのも。この男の魅力に嵌って行った監督の、素直な気持ちの表れだったのかも知れない。

本人も死に、原作者も死んだ。
題材を決めたものの、、、
話をどう繋げて行けば良いのか?
大きく変えても良いのか?
いっそのこと全てを投げ出してしまいたい、、、

その様な葛藤が津乃田とゆうキャラクターの中に全てが詰まっていた。
そして長澤まさみのキャラクターには、(おそらくは)監督本人の【面白がり】の心の一部である〝 猪突猛進 〟の一部分が、、、




四年余りの田村氏との付き合いで、問わず語りに母の話をしたことがある。わたしの母は七年前に肝臓ガンで死んだが、戦争未亡人として四人の子をかかえて辛酸をなめた。大柄な母が体中にヤミ米を巻きつけ、上からだぶだぶのコートを着て列車に乗り、経済警察に追われて必死に逃げたことを話すのを、彼は涙ぐんで聞いてくれた。田村氏の短歌や俳句には母親を詠んだものが多く、「母親は騙し易しと言う囚人に何の怒りぞ孤児の我」が印象に残っている。
田村氏の母親の記憶は、割烹着をつけて孤児院に面会に来て、手を振りながら大橋の方へ帰った後ろ姿だそうである。彼が死んだアパートが、福岡市南区大橋だったことを思うと、愛惜の情を禁じ得ない。今年の四月に福岡へ移るとき、わたしに直接は言わなかったが、最後まで母親捜しを諦めていなかったのだ。
(「行路病死人」より)




敢えてなのか?男が存命中には描かなかったと思える原作者自身の〝 その想い 〟を、監督西川美和は《女としてのカン》を敏感に感じ取ったがゆえに作り上げた〝 母親探しの旅 〟だったのだろう?と思う。



復刊された「身分帳」の監督後書き より

何れにしても山川がシャツを破って啖呵を切ったところで、通用するものなどもはや何一つないだろう。私は大きく原作とは時代設定を変えて映画を作ることを決めた。どう描いたって、この分厚い小説が語ったものは語りきれないし、小説とは異なるものを描かない限り、映画の存在意義などない。

〜 略 〜

亀有で逮捕されたバーの店長の名前は〈三上正夫〉とあった。前橋の家族で戸籍を作られた十五歳の時、警察の調書に書くのが面倒でない文字を並べて適当につけたという名前。「山川一」は佐木さんが小説のためにつけた仮名だったのだ。山川一と三上正夫。同じように字画の少ない漢字ばかりの並びを見て、生き別れていた二卵生双生児を引き合わせたような嬉しさに駆られた。佐木さんも亡くなり、山川の縁者も見つからず、誰に断る必要もないことを少し寂しく思いながら、私は映画の主人公の名前に、この名をもらうことにした。実名で描くのはまずいのかかもしれないが、彼のためにまずいと思う他者が存在するのかさえわからない。文句がある人がいれば私のところにぜひ申し出て欲しいのだ。「私は三上を知ってる」と。

〜 略 〜

映画は役所広司さんが「三上正夫」を演じてくれることになった。健さんももういないが、私は随一の俳優をキャスティングしたと胸を張っている。よかったねえ、素晴らしいことだよ、役所さんが演ってくれるんだよ。と、私はまるで離れて暮らす家族に報告するような気持ちで、山川を思った。





田村氏が平成三年二月二十日までに、有期懲役に相当する犯罪を犯さなければ、これまでの〝 前科 〟は消える。よく田村氏は「五年たてば事を起こしても〝 準初犯 〟で刑が軽くなる」と語った。それに付け加えて、五年間もおとなしくしていれば、事件を起こすのがバカらしくなるでしょう」と笑っていた。あと四ヶ月生きていたら、大きな解放感を味わえたに違いないのである。
(「行路病死人」より)

思えば、西川美和監督作品には【死】とゆうキーワードは絶えず付き纏っていた様に思えてならない。
これまでは、その【死】に対して対峙する人々にはどこかに〝 心の闇 〟であり、他人には見せようとはしない〝 魂の苦悩 〟と言った、《人間味》を感じさせない人物像が多かったと思う。

だが今回は、これまで描いて来た(心の)内側に暴力性を秘めた人物とは真逆で、絶えず暴力性を漂わせる。しかしながら、それ以上にこれまで描いて来た人物と比べると、遥かに人間味に溢れている人物だった。
それらを考えると、今回描かれたモデルの男は。映画監督西川美和が見つけた〝 新たなる人間像 〟に他ならないと思えてならないのです。

だからこそ、真実は寂しい最期だったこの男の最期に、監督西川美和としては「行路病死人」の人達を彼の最期に集まって貰った。
そしてその場面には、自身の想いを投影させる人物も添えて。


最後にこれだけ言わせて貰いたい。


来年のアカデミー賞 頑張れ!




2021年 2月13日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン7

2021年3月20日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン8



※ 新たにレビューを書き直した事で。以前にいいね!を頂いた方には大変申し訳ない思いです。その辺りはどうかご了解ください。