ブラックユーモアホフマン

すばらしき世界のブラックユーモアホフマンのレビュー・感想・評価

すばらしき世界(2021年製作の映画)
3.0
ダメでした。全然。

もちろん是枝さんと西川さんは違う映画監督だけど、とは言えやはり近いところで影響し合って映画を作っている人たちだから、似たような感じを受けるのも当然かもしれない。特に是枝さんの『万引き家族』『三度目の殺人』と同じ理由で、駄目だった。

「この映画で描きたいことは社会が抱えるこういう問題ですよー」という狙いが明確すぎて、透けて見えすぎて冷める。特に行政、福祉、法律の網から溢れ落ちてしまっている人たちについて。そりゃ大事な問題だとは思うがしかし、本当にそれは映画じゃなきゃいけないのか?と感じてしまう。

そう感じてしまう理由には登場人物の配置の仕方やシーンの構成、そしてセリフの問題があると思う。観客に何を思わせたいか、というキャラクターごと、シーンごと、セリフごとの狙いが分かりやすすぎて、まあ端的に言うとつまらない。映画という形をとったレポートを読まされているような気分になるし、登場人物たちは実在感よりも物語上の役割を強く感じてしまい、それを演じる役者陣からも「やらされてる」感が出ちゃってて可哀想ですらある。

登場人物に実在感がないのは、脚本の問題が大きいけど演出の問題も感じる。まあ脚本書いてる人と演出してる人が同じだからそもそも脚本の問題なんだけど。「どう?こういう人いるでしょ?」感を狙い澄ましたセリフや演出、演技やキャスティングが、むしろ一周回ってわざとらしくて鼻につく。

重要な登場人物が多すぎる。例えば普通だったら役所広司と太賀の関係だけでも2時間のドラマが作れるはずだし、同じように役所広司と橋爪功、役所広司と安田成美、もしくは太賀と長澤まさみの関係性だけでもいけるはず。
なのに、主人公に様々な角度から光を照射して多角的にその存在や問題を語りたいと欲張るが故に、魅力的な人物関係を全部ぶち込んでしまう。それで結果的に主人公以外の登場人物一人一人の心情描写が疎かになってしまっている。
1話1時間全10話のドラマシリーズならいいけど、2時間そこらの映画でこの量を丁寧に描くのは無理だ。
例えば、北村有起哉さんは何故あんなに親切なのか。何か役所さんに対して思い入れる理由があるのか、心境が変わるきっかけがあったのか。何も描かれていないからたまたま良い人にあたっただけ、に見えてしまう。偶然の不幸はいいけど、偶然の幸運は駄目でしょ。
オーソドックスにいけば、役所広司は理解し難い存在として、それを取材する一般人である太賀(原作者の佐木隆三及び西川監督自身の立ち位置とも重なるわけで)を狂言回しというか、実質上の主人公として置いて観客の目の代わりとし、その2人の関係を中心に描くだろうけど、そこまで太賀も出てくるわけじゃない。だったら必要だったか?このキャラクター。終盤はそういう風になっていくものの、そこに観客をノらせるためには序盤から周到に準備を積み重ねていかないといけないのに、そうはなっていなかった。

などなど腑に落ちないところばかりで全くノレず。

キャスティングも腑に落ちない。良かったのは北村有起哉さんとキムラ緑子さんだけ。まあ橋爪さんも相変わらずいいっちゃいい。仲野太賀は…よかったと思うけど、そもそもあのキャラクターがどんな奴なのかがよく分からないので何とも言えない。でも調子のいい若者って感じは出てて良かった。むしろ脚本はダメだけど仲野太賀のおかげで多少キャラクターに奥行きが出てる気がする。
そもそも役所さんが違うと思う。日本映画、なんでも役所広司に頼りすぎだぞ。もっとみすぼらしいおじさんの方がいいと思うんだよなあ。役所さんじゃ華がありすぎる。同じ九州出身の光石研さんとかも良いかなと思ったけど、光石さんでもまだかっこよすぎる。もっと普通のおじさん。
ヤクザものだからって梶芽衣子、白竜ってのも安易でダサい。てかそれこそ白竜さんが主人公なら?ちゃんと本筋の人に見えて、しかも本人のフィルモグラフィ的にも説得力が全然違うと思うけど。みすぼらしくて普通のおじさん、ではないけど。超カッコよくて明らかに只者ではないおじさんだけど。でも年齢を重ねられて若い頃より普通のおじさんにも見えるようになってきてると思うんだよな。『真夏の方程式』の時とか良かったもんなぁ。
チョイ役も色んな人出てたけど、検察官役とかもマキタさんかぁ?『無頼』ですごく良かった松角洋平さんはやっぱり良かったからもっと出てきて欲しかった笑 あと松浦祐也さんと松澤匠さんってセットで売り出されてたりするんですか?笑 あまりに同じ作品に出てることが多すぎる気がするのだけど、今回もお二人はとても良かったです。三浦透子さんの使い方とか贅沢だったな。

まず掴みが弱い。出所するところから始まる映画ということで、全然違うけど『ブルース・ブラザース』を思い出した。画は綺麗だけどそれだけ。地味。最初にかかる音楽は良かった。けど、その後は音楽も良くない。安易な感動系メロディでした。

主人公を残酷に突き放してコメディに振った方が面白く見れそうなんだけど、笑えるシーンもありつつ基本中途半端にヒューマンドラマで。寄り添うのか突き放すのかどちらかにした方が。

想像するに、真面目すぎるんじゃないか。宣伝活動の中で西川さん自身が話していたけど、取材や調査を入念に行って脚本作りにも数年を費やしたと。理由は、そのくらいやらないと(特に実在の人物を扱う上では)映画にする覚悟ができないからだと。つまり責任感からそうしてるわけだけど、それが良い効果だけを生んでるわけではない感じがする。映画って多少無責任だったり適当な方が、皮肉にも勢いがあって面白かったりしてしまう。
それこそ劇中で六角さんが言う通り、「食い物にする」覚悟が作り手には必要なのかもしれない。その視点を劇中に持ち込んでる時点で誠実ではある一方、逆に言うと逃げ道を作ってる気もする。
長澤まさみが逃げた太賀に怒るシーンもあったけど、あれも正論すぎるというか。真面目すぎるというか。

最後のお涙頂戴的なオチもどうかなーと思う。オチの前のシーンも、障がいのある人をイノセントみたいに扱うっていうのどうなん?その価値観古くない?松澤さんの演技はさすがだったけど。

そして満を辞して出るタイトル「すばらしき世界」ダサい。
このタイトルについては観る前からちょっと気になってはいた。『素晴らしき哉、人生!』じゃないんだから。大丈夫か?と思ってたけど案の定ダサい。「どうですか!皮肉でしょう!!」「うるせえ!!!」

タイトルにも象徴される通り、登場人物たちの視線の先にいる名も無い人々のカットが挿入されたりして、主人公を中心として広くこの世界全体を描きたい、というニュアンスも汲み取ったのだけど(九州に行く直前の電話の声のシーンで映る東京の夜景からもそれを感じた)、なんかそれもどうも……。主人公が電話ボックスの中から見る、電話して頭下げながら歩道橋を上るサラリーマン、工事現場で働く人、とか。シャバでみんなそれぞれ頑張ってるんだよ〜みたいな。んーお父さん応援ソングみたいな安い感じがする……。ファンキーモンキーベイビーズですか?
太賀が電話中見つめる先に迷子で泣いてる男の子とか、白竜の家の庭の木を剪定していたベテランヤクザとかは良かったけど。
というか、その姿勢自体が是枝さんが言っているような映画作りに対する姿勢に反してる気がする。極ミニマルな視点を突き詰めた先に大きな世界を描く、想像させるという。だから彼らの姿はわざわざ背景に描き込まなくても。それは説明過多なのでは。少なくとも一度や二度で良かったんじゃなかろうか。ちょっと同じような描写を重ねすぎ。

ちなみに太賀の部屋にはなんで『エクソシスト』のポスターが貼ってあったんだろう。

【一番好きなシーン】
プチ鹿島さんも言ってた、キムラ緑子さんのセリフ。