えいがうるふ

すばらしき世界のえいがうるふのレビュー・感想・評価

すばらしき世界(2021年製作の映画)
5.0
とにかく役所広司がすばらしき役者すぎて、久々に持参したタオルが大活躍。
主人公は心身ともに問題を抱えつつも、根は竹を割ったようにひたすらまっすぐで不器用な昭和男。情には厚いが口下手で短気で喧嘩っ早く、それが昂じた挙げ句前科者になってしまった男がようやく出所・・・とくれば、設定としては往年の高倉健が「幸福の黄色いハンカチ」で演じた役にかなり被る。ただし、あの映画では武田鉄矢が一手に引き受けていた三枚目要素をこちらでは主人公が一人で兼ね備えているうえに、その内面の葛藤や成長までもしっかり見せてくれるので、主演キャラクターとしての魅力度は数段上。個人的には彼がこれまで演じてきた役の中で、一番愛せる男かもしれない。

映画が現実にはありえない夢を見せてくれるものだとしたら、出所した元殺人犯が辿る社会復帰を目指す日々の中で、孤独でハンディだらけの主人公を周囲の人間があっさり信頼し寄ってたかって支えてくれるというこの話は出来すぎな美しいフィクションとしてその目的を完璧に全うしている。それでも、この作品がただの現実離れした嘘くさい作り話に思えないのは、映画的な分かりやすい喜怒哀楽を絶妙に配しつつも、誰もが日々の現実生活の中でいつか経験したような悔しさや虚しさ、期待と失望、不安と安堵、憤りと諦め、自己嫌悪・・そうした些細な感情の動きを丁寧に描き、観る者に他人事と思わせない見事なストーリーテリングの妙によるものではないだろうか。そして、ラストに浮かび上がるタイトルが現実世界への反語でもあるからこそ、映画というフィクションの慰めに私は涙してしまう。

ところでこの映画の劇場用パンフレットには、なんと巻末にシナリオの決定稿が丸ごと載っている。さぞや緻密な脚本なのだろうと読んでみたら、拍子抜けするほどシンプルなト書きに、淡々とセリフが書いてあるばかり。むしろ、たったこれだけのエッセンスからひとりひとり背景を持った登場人物として、あんなにも血の通ったキャラクターを演じる事のできる役者の皆さんの人物描写力も凄まじいと思ったし、さらに数え切れないほどの人々の手を経てこの「文章」が立体的に情景を物語る「映像」に仕上げられる、映画作りという魔法の面白さと凄さを改めて思い知らされる気がした。
なおこのシナリオには本編ではカットされたシーンもいくつか載っているが、いずれもやや下世話が過ぎるエピソードで主人公の魅力をぼやけさせるように思えた。もしかしたらそれらのシーンで特に男性観客はさらに主人公に親近感を覚えたかもしれないが、個人的にはカットで正解だったと思う。

そんな素晴らしきパンフレットをじっくり読んでからの、劇場鑑賞3回目。さらにいろいろな気付きがありしみじみと面白かった。そして分かっていても仲野太賀に三度目のもらい泣き。文句なしの傑作。