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プラットフォームのumisodachiのレビュー・感想・評価

プラットフォーム(2019年製作の映画)
3.7


ゴレンは目覚めると無機質な部屋にいた。同じ部屋にいる老人トリマカシはここが「48階層」だと言う。しばらくすると部屋の真ん中に空いた穴に食べ物が乗った台が下りてきた。上には食い散らかされた大量のごちそう。トリマカシによると、ここには何層ものフロアがあり、1か月ごとに自分の階層が変わるのだという。ごちそうは上の階の人間から順に食べていくので下の階層には残飯しか残らない。最初は残飯なんて食べたくないと拒否していたゴレンだったが……。

メタファーに満ちた風刺作品。残飯と排泄物と血にまみれた映像がひたすら続くので、食後には観ないように。

上の階から落りてくるごちそうは、それぞれが適当な分だけを食べれば最下層まで行き届く量なのだという。しかし、当然そんなことは起こるわけもなく、50階層目くらいで食べ物は尽きて下の者は飢える。飢えた人間が何をするかといえば、奪い合いであり、殺し合いだ。殺されたり死んだ人間の肉は他の人間に食われ、皆なんとか1か月を生き延びて上層階へと配置転換することを祈っている。

冒頭からかなり直接的な表現が繰り返されるので非常にわかりやすい。上の人間は下の人間の言葉など聞かない、とかね。前半は人間のエゴや格差社会が露骨に象徴化されていく。罪人でありゴレンを悪魔のように誘惑するトリマカシはゴレンの命を奪おうとするが死に、ゴレンは葛藤の末にトリマカシの肉を食らう。トリマカシはその後ゴレンの体内に取り込まれる形で度々目の前に姿を現す。

次にルームメイトになった女は、「Spontaneous solidarity」を訴え続けていた(外国で観たので英語字幕で鑑賞)。しかし、下の者に「取り分だけ食べて、他の人と分け合おう」といくら声をかけたところで、彼女の言葉を誰も聞こうとはしない。ゴレンは脅迫で下の階の者を従わせるが、それは「Spontaneous solidarity」とはかけ離れたものであり、永続性などあるはずがない。

このあたりから、映画はキリスト教的な意味合いを強くしていく。この建物にはひとつだけ何かを持参していいというルールがあるのだが、大方の人間が武器を持参しているのに対して、女はエジプトの賢王の名がついた犬を、ゴレンはドン・キホーテの本を持っていた。理性や理想を象徴する犬。智を象徴する本。犬を失った女は絶望し、自ら命を絶ってゴレンに身を捧げようとする。死後にトリマカシと共にゴレンの前に現れた女は聖書の言葉そのものを唱えるのだ。

また、建物には子どもを探して彷徨う女も登場する。子どもを探し回り、自分の身に危険が迫ると誰彼かまわず攻撃する女。他の人間は子どもなどいないと言うが、「母性」を象徴するこの女の存在もどこか宗教的だ。

本を読み、本を食らい、葛藤の末にあらゆる罪を犯したゴレンは、協力者を得てある行動に出る。混沌と不公平の世界において、智を武器に救いをもたらそうとする預言者。イエス・キリストを象徴しているのか、パウロを象徴しているのか、はたまたヨハネを象徴しているのかハッキリと断定はできないが、秩序と連帯を求めて自らが犠牲になって行動するゴレンたちは、途中で賢者の信託を得てがむしゃらに突き進んでいく。

とことん気持ちが悪い描写が続いて吐きそうになりながらも、その先で見つけた希望は少なからず感動的だった。荒野の誘惑からはじまり、聖書のさまざまなエッセンスを要所要所で示しながら、傷つきながら智と良心に目覚めドン・キホーテのように目的に向かって猛進する狂人・預言者ゴレン。ものすごく悪趣味でありながら、ハッキリと宗教的な良作。階数などにもキリスト教要素が色濃く反映されているので、キリスト教映画として読み解く練習にも最適。『CUBE』のようなシチュエーションスリラーとしてもなかなか楽しめる。











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