ちろる

第七の封印のちろるのレビュー・感想・評価

第七の封印(1956年製作の映画)
4.4
十字軍での戦いに心身共に疲弊した主人公アントニウスが海岸で恐ろしい「死」と出会うところから始まる本作。
聖書のヨハネの黙示録の言葉からのオープニング。
死神が自らを「死」と名乗ったり、アントニウスが死から時間稼ぎする理由が生きていた意味を知るためだとか割と哲学的な匂いがプンプンするので、この入り口で苦手意識を持ってしまったら少々勿体ないと思う。
入り口こそすごく難解そうだけど、実は宗教のことはそこまで掘り下げて語ってないし、
蓋を開けてみれば生と死に対する恐怖という人間の普遍的な苦悩について、真正面にそしてちょっぴりコメディタッチに、若干ふざけながら作られていた雰囲気なのでベルイマン作品の中でも割と単純明解な気がした。

何故生きてるのか、何故死ななきゃいけないのか、何故こんな寂しいのか、なんでこんな苦しいのか。
人間は考える生き物だから数々の苦しみにはいくつもの「なぜ」がつきまとう。
そのなぜを問いかける相手は恐らくそれぞれが信仰する神であり、もちろんそのなぜの答えが天から降ってくることもないから人はまた悩み続ける。

主人公のアントニウスは神がこの世にいてほしいと願うのは死の後の救いが欲しいから。
部下のヨンスは無神論者で合理主義者だから死は死だとしかも思ってない。
そしてヨンスと旅をすることになった少女はこの世に絶望を抱えてこの世に最後の審判が来ることを望む。
その他神父や鍛冶屋、そして無邪気な旅芸人のヨフとミアとその赤ちゃんなどと共にアントニウスたちが国に迫り来る死「ペスト」から逃げるように旅を始める要するにロードムービーなのだけど、それぞれの人物描写がメタファーとなって、その個々のタイプが死に対してどう行動するのかを見せつけるような神話的な雰囲気もある。

神がいると思うから人は死を受け入れられて、神がいないただ無だけならば恐ろしくて生きることも怖くなはずなのに、ヨンスの潔いほどの恐れのなさが示すものはなんなのだろう。
無神論者のヨンスや楽天的なヨフたちが結局は幸せそうだなと私は思う。

死ぬ準備ができていたはずのアントニウスは美しい光景を見つめて幸せな瞬間を噛み締めた瞬間また更に生に執着するのだけど、多分私もアントニウス側の人間で、多くの現代人はアントニウスみたいなのだろう。

神を信じる事は果たして不幸なのか幸福なのかというベルイマンの問いかけはこの後の作品でも続いて行くけれど、その中でも比較的直球で潔いから個人的には好き。
ヨフが見た聖母マリア、有名な死神とのチェスシーン、そしてラストの死神との参列と映像的にも脳裏に焼きつくシーンが非常に多くて忘れられなくなる作品でした。
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