カルダモン

花束みたいな恋をしたのカルダモンのレビュー・感想・評価

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
3.0
始まって早々に肌に合わない感じがビンビンでどうしようかと思った。主にカルチャー周りの捉え方と、ブキミなまでの偶然によって急接近する二人の出会いなどなど。ぐっと堪えながら残り時間のカウントが1時間40分もあって気が遠くなった。んだけど。なるほどこの映画の視点はそこにはないのだなと途中でスイッチを切り替えた。

この映画がカルチャーをどのような視点で捉えているのかは一旦置いといて。同じカルチャーを摂取していた人はきっと同じような世界が見えているはず、という錯覚はリアリティがある分、イヤなところ見てるなとも思った。似たようなことやってたかも自分、多分、という。

イヤホンのLRを恋愛と重ねる表現は面白く見ました。片耳ずつ分け合って同じ音楽を聴く、でもステレオで鳴らされている音を分けて聴いたところで同じ音楽を聴いていることにはならない云々。そういう意味ではBluetoothイヤホンをお互いにプレゼントした時点で二人の関係は深層では終わってたのかも。あるいは暗示?同じイヤホンで音楽を聴いていたのは音楽じゃなくてお互いの鼓動だったはずなのに。それぞれ別の音楽を聴くことができるようになって、一層二人の距離を分断する装置になってしまった。二人のBluetoothイヤホンを一つのデバイスに接続して同じ曲を同時に聴いたとしても二人が感じるものは絶対に違う。それぞれがステレオで鳴らしたってしょうがない。右と左で別々な音が鳴って音楽になるんだよ。そう思って冒頭部分を見返したら彼らの辿り着いてる方向が私と全然違ってて、もういいやと思いました。
映画の後味はスッキリしていて、そこは好み。

イヤホンでふと思い出したのはジャームッシュの『ミステリートレイン』。あれはウォークマンに二本のヘッドホンを分岐させて聴いていたね。そうやって考えると音楽を聴くことに対する違いが見えるようでまた面白いな。あっちの二人は音楽趣味が違ってるから、カールパーキンスとエルビスプレスリーのどっちを聴くかジャンケンで決めてたっけ。
以上、工藤夕貴と永瀬正敏くらいの感じに憧れを持っている私の感想でした。
ところで「花束みたいな」というのはどう言う比喩表現なのでしょうか。長くは保たないということかしら。