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ダーティハリーの東京キネマのレビュー・感想・評価

ダーティハリー(1971年製作の映画)
4.2
この作品、今さら改めて言うことでもありませんが、アクション映画や刑事映画の基本形を作ってしまったといっても良いくらいの映画であります。

犯罪に執念を燃やすデカ、アンチヒーロー、私生活のない一匹狼、なんていう設定はみんなこの映画が作ったようなもんですからね。そう言えば、新人警官が過剰防衛でやたら拳銃をぶっ放す「ダーティハリー症候群」なんてのもあったりして、この映画の影響は凄まじいものがありました。

この映画が大ヒットした理由は幾つかあるんでしょうが、この当時のアメリカの社会情勢が一番大きな理由かも知れません。映画として見ると、どうも殺人の誘因を作らないってのが不自然でもあるんですが、ゾディアック事件(1969年)があったばかりですし、この当時のアメリカ人が見たら、むしろ自然な物語として見えたのだろうと思います。

犯罪が起きてもいつも加害者の人権ばかりで被害者の人権はなおざり、ってのがこの時代の社会背景にあった訳で、ここらへんは通名報道とか、人権派弁護士がやたらしゃしゃり出てくる今の日本の状況と全く同じです。この映画でもミランダ警告(権利告知)をしなかっただけで犯罪者が無罪になるので、ここでハリー・キャラハンの怒りは沸点に達します。観客とハリー・キャラハンの憤怒が同調するドン・シーゲルの演出はまさしく職人芸です。演出でぐいぐい引っ張ってくれるので、見ているこっちもノリノリです。

やっぱり今見ても、スコルピオ役(さそり座の男)のアンディ・ロビンソンは憎たらしくて抜群に存在感があります。メイキングでアンディ・ロビンソン本人の話で大笑いしたのですが、この映画の影響があまりにも大きくて、町で合う人やレストランでいつも『ダーティハリー』の決め台詞で声をかけられたらしいです。“ある時、レストランのお手洗いで用を足す隣の男に“Go-ahead, Make My Day”(出せよ。出るもんなら出してみろよ)って言われたよ。まいったね”ですって。

実はアンディ・ロビンソンが出ているこのダーティ・ハリー1作目にはこの台詞はありません。これ『ダーティハリー2』以降の映画とごっちゃになってるんですね。正確に言うと“I know What you thinking, Punk! ・・・”(何考えてんだか解ってんだよ、このクソ野郎が・・・)から始まる長ゼリフです。要するに、映画の印象があまりに強過ぎて、記憶回路にまったく別の拡大解釈されたシーンがインプットされてるんですよね。

他にも幾つか記憶違いがあって、これを発見するのも面白い体験でした。44マグナムで銀行強盗犯の車を大破させたと思っていましたが、これは犯人を狙って撃ってるだけですし、ちょっと驚いたのはハリー・キャラハンの私生活は全く登場してないんですよね。汚いアパートに帰って冷蔵庫からビールを取り出してベッドにひっくり返って飲む、というのもイメージで作り上げてしまった模様です。これも後のシリーズとゴッチャになってるんですね。

ラストシーンも犯人を追いつめて、夜のライトアップされたグランドで捕まえる、って記憶だったんですが、その後の展開が結構しつこくあって、スコルピオの異常な犯罪が幾つか出てきます。(これテレビ放送でここらへんのシーンがごっそり抜かれている可能性もあるかも知れませんね。)要するに、これも刷り込みの勘違いなんですよね。

しかしこの映画を冷静に見ると、結構誇張し過ぎてて下手するとコメディになっちゃう要素があるんですよ。だって、象を殺す訳でもあるまいし、この当時に警官が44マグナムを持つのなんてあり得ませんし、犯人を追いかけてアパートを覗いていると変態男と間違えられて袋だたきに合っちゃうとかもそうですし、それに、自殺しようとしている男に“飛んでみろよ。脳みそがぐちゃぐちゃになっちゃうよ?”と言って相手がひるんだスキに殴って気絶させて助けるのもねえ~、そんなアホな~って感じなんですよ。犯人を追いつめると、何故か歌舞伎の長ゼリフのような見栄を張っちゃったりするのもそうですし。そんなペチャクチャ喋って言葉攻めなんかしないで、さっさと仕事しろよ、って感じも結構おかしいのですよ。

つまり、こうったアンチ・ヒーローの性格付けはもの凄く誇張されているんですが、それがうまくリアリティあるようにアレンジされています。刑事映画はそれまで事件解決とかサスペンスものが本道だった訳ですが、この映画のお陰で観客と刑事の怒りを同一化したロードムービー・スタイルが定着しました。刑事が犯人を殺すこと自体にカタルシスを作っているのが、この映画の革命的なところですね。

何十年ぶりかの再見ですが、再発見もあり、なかなか楽しく拝見しました。さあ、2以降も全部見るぞ~!(笑)