海

カモン カモンの海のレビュー・感想・評価

カモン カモン(2021年製作の映画)
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わたしはもう大人で、たぶん誰にとっても、母親以外からは大人だと思われていて、確かに子どもではなくて、だからといって大人であると胸を張っては言えなくて、未来をどう考えるかと聞かれれば、やっぱり、言葉にできる想いの方が少ないのだと思う。本当に、純粋に、こう思う。わたしの大切なひとが、世界中のみんなから愛されていてほしい。書き出してみるとぺらっぺらでも、それをずっとずっと願っているのは、本当に、本当のことだ。わたしの大切なひとを、いつかわたしが大切にできなくなったときも、わたし以外のみんなから大切にされていてほしい。
わたしが幼かった頃、一度だけママの恋人が、夜海へ連れて行ってくれたことがあった。わたしは妹と並んで、海の見えるファミレスで何か食べていて、向かい側にいるママとそのひとのことを、見ていないふりをしてずっと観察していた。夜海へ出て花火をして、わたしたちはずっと笑っていて、だけどママは少し離れたところにいて、どうしてわらわないの、たのしくないの、って気にしながら、それがどうしてなのか、心の奥のほうではちゃんとわかっていた。それから何年も経ったあと、ママはわたしに、あのひとは、あなたたちの父親になるって覚悟が決まるまで、あなたたちには会わないと言っていたんだよ、と話してくれた。あの海に出た夜から、一度も会うことはなかったけれど、あの夜ママの恋人は、確かにわたしたちの父親になることを決めて、わたしたちに会った。あの海のそばを通りかかるたびに、そのことを思い出す。何がダメだったんだろうとか、あの日ふたりはどんな気持ちだったんだろうとか、そういうことを考える。わたしが考えたところで、答えなんて出るはずもないのに。どうして考えてしまうんだろう。
子どもに戻りたいって、思ったことはない。子どもでいたいとも、今はもう思ってない。ただ、子どもたちの話を解れる大人でいたい。世界はこうあるべきだとか、こうされて嫌だったとか、こんなふうなのはおかしいとか、その話がどんなに自分にとって未知のものであっても、ものすごく速く、わたしはそれを理解したいって思う。ただこのひとたちが止まらない話をしたり、黙って抱きしめあったり、それだけのことで、自分の涙腺はもう狂っちゃったんじゃないかと思うくらい簡単に泣いてしまった。叔父が抱きしめて怒鳴って対話した甥は、わたしにとって妹だったし、甥が抱きしめて生意気をして対話した叔父は、わたしにとって母親だったんだと思う。ホームセンターを駆け回って妹をさがしたこと。見つかったとき、本当にこの子バカ、って思った。何でもない顔して近寄ってくる姿を見て、何その顔は、どれだけ心配するか、なんでわかんないの、って思った。わたしが高校生のとき、夜遅くまで遊んで帰ったら、母に頬を叩かれたあと、すぐに抱きしめられたことがあった。あのとき母は、きっとこの気持ちだったんだろう。
大切にするとか、対話をするとか、知るとか、理解しようとするとか、ちゃんとやろうとすればするほど、本当に大変で身も心もささげるようなことで、人生をかけてそれができたなら、それは幸福なのかもしれない、と思うし、わたしがしたいことは、未来に望むことは、全部そこに通ずるのかもしれないとも思った。
あなたが変わるとき、わたしはあなたが過ごしてきた長い長い時間のことを考えているだろう。あなたが笑うときも、泣くときも、楽しいって言って走り出すときも、死にたいって言ってわたしの胸に縋る日も、ずっとそう思ってきたように。大丈夫だよ、あなたは大丈夫、そう思う、どんなに胸を刺すような不安よりも確かに、あなたというひとへの信頼と安心が、いつもいつもわたしのなかにはあった。愛していることや、大切にしたいって思っていることよりも、ただ、あなたを見てきたよ、ずっと見てきたよ、それだけが伝えたくて、それがあなたの心を守ってくれると信じている、わたしがあなたをずっと抱きしめてあげられると信じている。何を犠牲にしてもいい、手を放しちゃいけないとき、ちゃんと手を握っていたい。話さなきゃいけないとき、ちゃんと耳をかたむけていたい。時間はいくらでもあるから、人生はありえないほど長いから、やわらかい椅子に腰を沈め、目を見るためにそこまで行こう。いつまでも、どこへ行っても、どこに居ても、わたしのためにここまで来てって、わたしを呼んでほしい。過去を、今を、未来を、呼び覚ます力が、あなたにはあるんだよ
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