だれもしらない

ミッドナイトスワンのだれもしらないのレビュー・感想・評価

ミッドナイトスワン(2020年製作の映画)
4.3
9月10日先行上映を観た。この回を観る者として広くレビューを届けるのは役割かも知れないと思い脳内で組み立てを試みたものの言葉を紡ぎ出せず公開前2日を迎えてしまった。
多くの秀逸な感想が一般・プロの別なく既に多数書かれていて、それ以上の言葉は要らない気もするが私なりに。
呼び込みのフレーズに《世界一美しい…》と有りスチール画像も確かにざわつく美しさが潜んでいるので、その線上に映像が並ぶものと思い込んでいたが目にしたのは剥き出しのリアル。
別世界夜の新宿をどこか覗き窓から安全に見せられるようなアノ感じではなく
ヒールの靴音と共に連れて行かれる凪沙の部屋は日常の延長上に存在するリアルな生活の臭いが充満しているのだ。
冒頭の東広島のシーンでは母子の佇まいはまだ映画的な表現の範囲内だったと思う。
一果の精神的背景を知るには十分だが眺めるゆとりは残されていた。
それが愛の舞台となる新宿に移った途端
傍観者として立つ事は赦されなくなる。
狭い室内の隅々にまで気を配られた《どこか女性になりきれない》=横着さのない=女性が選ぶ調度や工夫された配置によって凪沙がトランスジェンダーである事を思い出させられる。忘れているわけではないが主演草彅剛の乾いた目と語調、歩調の妙により、殊更トランスジェンダーを意識する必要性を感じなくなっていたのだ。登場と同時にその感覚に落としこまれたのは凪沙以外の誰でもない凪沙がその人の半生を纏って歩いていたから…としか言いようがない。
部屋の佇まいを作り上げた美術監督!?或いは道具係の方の功績は渋谷慶一郎の音楽と共に映画にとって計り知れない大きさが有ると思っている。
主演は楽屋に戻らずその部屋にずっと居続けたとの監督の談話を伺ったが
主演をここまでの高みに昇らせ途切らせなかった魔法がここには存在するのだろう。
お膳立てが調い役者が揃った所で映画は当たり前のように日常から深い深い底へと潜ってゆく。
辿り着くのは《世界一美しいラブストーリー》と捉える者全ての《欠けた一部》
見えないフリして遣り過ごしてきたものや見てるつもりで妖かして来たアレコレの破片が刺さり
感動ではなく苦しい涙を流す事となる。
そして切なさの極みでラストの真に美しい映像〔海とバレーと一人の女性〕が浄化へと導いてくれる優しい映画だ。
草彅剛・服部樹咲・真飛聖・水川あさみ・根岸季衣ほかオールキャスト《本当は全て列記したい》の佇まいは必見。
今年の映画を語るなら見逃してはならない作品だと思う。
直ぐさま手に入れた渋谷慶一郎のCD《ミッドナイトスワン》サントラを聴きながら…