平野レミゼラブル

由宇子の天秤の平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

由宇子の天秤(2020年製作の映画)
4.6
【真実と正義の泥沼に沈む】
普通の映画は嘘っぱちばかりで観る気が起きないが、ドキュメンタリー映画は常に真実を語っているため見応えがあると語っている人を見かけたことがあります。僕はこのドキュメンタリー映画は真実だけを映しているというのは、かなり危うい考え方だと思っていまして、ドキュメンタリー映画もまたちっとも真実を映していない代物であることを自覚しないといけません。
ドキュメンタリー映像は実際に現実世界で起きていることを追いかけ、当事者に話を聞き、在りのままを伝えるもので、そういう意味では確かに「真実(リアル)」です。しかし、これらを映してまとめるにはどうしてもカメラや監督という「フィルター」が必要になり、そのフィルターを通した時点で、どうやっても「真実(リアル)」には他者の考えや思惑が混入します。
謂わば完成したドキュメンタリー映画は、製作者側のバイアスがかかった「真実(フィクション)」であり、決して真実のみが語られているとは限りません。むしろ、撮影者の思惑が「真実」を通してよりダイレクトに滲み出ている以上、フィクション映画よりも危うい非真実性が介在するジャンルのように思います。

一応誤解がないように言っておきたいんですが、この「ドキュメンタリー非真実論」は別にドキュメンタリーに対する批判とか嫌悪の表明ではなく、ただドキュメンタリーという手法を取った際にどうしても起きてしまう必然を語っているに過ぎません。
現に私自身ドキュメンタリー映画は大好きでして、今年でも『ミッドナイト・ファミリー』『フィールズ・グッド・マン』『迷子になった拳』はどれも知らない世界を覗き見る面白さと共に、製作者側が真に伝えたい気持ちを主観バリバリで伝えてくる熱さも相俟って楽しく観ることができました。ただ、これらを楽しむにあたって、その製作者サイドの気持ちありきってことは念頭に置いておかないといけないし、これだけを見て「真実」を知ったような万能感に酔ってはいけないということは絶えず自省していく必要があります。

そして、本作『由宇子の天秤』の主人公である木下由宇子(瀧内公美)は実家の学習塾を手伝いながらドキュメンタリー番組のディレクターを務めており、このような「真実」を創り出す側の人間です。
彼女は教師と関係を持った末に自殺したという女子高生の事件を追ったドキュメンタリーを撮っており、女子高生や「教え子との関係は事実無根」と言いながらもバッシングに耐えられずやはり自殺してしまった当該教師の遺族に取材を試みて「真実」に迫り、社会に「正義」を突き付けようと奮闘しています。
特に教師の遺族への取材を続ける内に、マスコミによる過剰な報道も事件の一因を担っているのではないか?という問題意識も芽生えてドキュメンタリーにも組み込もうとします。ところが、上層部は身内批判としてあからさまに渋り、都合の悪い部分をカットして全面的に学校に問題があったような編集を指示する始末。
こうした「真実」を覆い隠し「正義」の遂行を阻もうとする存在に苛立ちながらも、由宇子は取材と編集を続けていきます。

中々こうした由宇子の反骨心溢れる取材や会議での様子も見応えがあったんですが、その中でも特に息を呑んでしまうスゴ味があったのが、教師遺族の母親(丘みつ子)宅での取材。
事件以後、ネット上でのバッシングや住所特定による嫌がらせ被害に苦しんでいた彼女は朝起きたら2時間かけてインターネットサーチをして住所がバレてないか確認をした上で、ボロアパートの窓にまで目張りをして真っ暗な中で文字通り息を殺して生活。外出も人と出会わない夜中に制限した上で、サングラスや帽子など身を隠す道具が手放せないという有り様。
ここまでしてもバレた時にまで考えを巡らせ、家財道具もすぐに引っ越せるよう必要最小限。人生における楽しみとか喜びを全て削ぎ取った最低限度未満の生活であり、壁に貼られた「私には娘がいる。可愛い孫がいる。だから私は幸せだ」というこの地獄の状況と相反する文言が、彼女の現在の苦境を端的に示していてゾッとさせられます。

この場面は狭い室内を長回しでグルッと回るように映しており、作り方も正にドキュメンタリー的。
何より、この部分は特に「作り物」感が無く、春本雄二郎監督自らが丹念に加害者(と思われてしまった)遺族の下に丹念に取材に行って作り上げたんじゃないかって感じがします。じゃなければ、ここまで生々しく描けないですよ……
本当に取材をしたかどうかはさておいたとしても、この一連の想像するだに胸が詰まりそうになる生活の質感を表現しただけで、春本監督の真価が現れている。長編2作目とは思えぬレベルに演出が卓越していて、ただただ唸らされます。


この「女子高生自殺事件」の謎を追い求める由宇子の視点を通した二つの遺族の物語だけでも映画として成り立つ出来ですが、本作はそこにもう一つ別の事件を混ぜ込み並行して展開していきます。
それは教室で一人絵を描いたり、カンニングをしたりで浮いていた塾の教え子・小畑萌(メイ)(河合優実)に関わる事件。ある日、体調を崩し教室で吐くまでした彼女を心配した由宇子は彼女を家まで送りますが、彼女の家はゴミが散乱していて汚く、ガスも止まっている程に生活が困窮、父親(梅田誠弘)との二人暮らしではありますが、彼は夜遅くなるまで帰らないといったようにある種、歪な生活環境にあることを由宇子は知ります。
オマケに彼女は実は妊娠しており、さらにこの妊娠の真実が何故か由宇子を縛っていくことになる。この辺りの「真実」は予告編やフライヤーを見ていればある程度察せるかとは思いますが、敢えて伏せておきます。僕は若干察してはいたけど、それでも由宇子とシンクロして「マジかよ……」とはなった。

ここからの由宇子は今まで愚直に信じていた「真実」と「正義」に自分自身が振り回されることになります。「女子高生自殺事件」は真実を明かしていくことを目標にしているにも関わらず、「メイの妊娠」に関しては真実を隠していくことを誓ってしまう。
メイの妊娠を頑なに隠す理由の一つについては、彼女自身を好奇の目から守るということもあるので一応の真実を隠すことによる「正義」にも成っているんだけれど、それでも並行して進めるドキュメンタリーとは真逆のスタンスです。
更に産婦人科を頼るのも誰かに見られるリスクがデカすぎるため、伝手を辿って医者から非合法の堕胎薬まで手に入れる取引までしますが、これも普段の彼女ならば嫌う筈の完全にダーティーな手段。
なんで彼女がここまで矛盾に満ちたことをするのかっていうと、それだけこの「真実」が明かされた時に負うダメージも規模も大きすぎるから。加えて、前半で執拗なまでに生々しく描いた教師遺族の状況が尋常じゃないレベルの説得力をもたらします。

また、「真実」と「正義」の人である由宇子も割とダーティーな行動をしかねない危うい存在だということは、最初からしっかり描写しているのも良いです。
女子高生遺族の父親の撮影をしているところが顕著でして、父親は自分の娘への本当の想いを聞かれて口を噤んでしまい、質問に対しては無言のまま撮影が終了するんですね。ただ、由宇子がインタビュー終了を指示したその時に、ポツリポツリと娘への想いを語り始める。カメラの前では語りづらくとも、誰かに胸の内を聞いて欲しいという気持ちがあったのでしょう。しかし、その胸の内を語り終えたその時に由宇子は「今の部分使ってもいいですか?」と尋ね、驚いた父親が由宇子の方を振り向くとカメラはまだ回っていた。
要はカメラの前では人は真実を語らないことを熟知した由宇子のちょっとしたテクニックであり、真実を知るためならこうした騙し討ちに近いこともやるということは最初から示しているんですね。父親は苦笑いしつつ了承していますが、彼女もまた「真実」と「正義」のためならばダーティーな手段も選んでいく。実際、その後も撮影禁止とされた場所をひっそり撮影していたりハッキリアウトなこともやらかしています。
まあ、ここまでしなければ骨のあるドキュメンタリーなんて撮れやしないってのもわかるんですけどね……名ドキュメンタリー監督として知られる原一男のエピソードとかクラクラするようなもんばっかりだし。


ともあれ、由宇子は「メイの妊娠」に直面することで自分が持っていた真実と正義への想いが揺らいでしまう。これまでは上層部に「間違っていることを間違っていましたって謝れるって格好良いと思うんですよね」と噛みついていたんですが、いざ自分が直面すると上層部と同じように隠蔽する方向に走ってしまうことへの葛藤が重い。
思うに、これまでの由宇子にはどこかドキュメンタリーの持つ「真実(フィクション)」性を甘く見ていた節があったような気がします。愚直なまでに真実を追いかけ、その在りのままを映して公平に放送しているという「天秤」としての自負がそれまでの由宇子にはあった。しかし、そんな『由宇子の天秤』は常に均等だったワケではなく、どちらか一方に知らず知らずの内に偏っていた。そのことを自覚したからこそ、由宇子は愕然として苦しむことになる。

「真実」と「正義」というのは底なしの泥沼のようなものです。
二つとも絶対のものとしてあるようで、その実態というのは暗く深く決して一面に見えるものではない。その深みを見誤った者は気付いた時には泥沼に腰まで浸かっており、もがけばもがくほど、より深く沈み抜け出すことが出来なくなっている。
そんな真実と正義の泥沼にハマってしまった由宇子の在り方が特にじっとりと描かれています。最終的になんだかんだ泥沼から這い上がったようで、結局抜け出すことが許されず、再び泥沼にずぶずぶと沈んでいくようなラストシーンの余韻も凄まじい。
観終わった後にずっしりと心に重いものが残る重厚な作品になっていました。

ただ、重苦しい作品ではあるのだけれど、物語としては非常に観やすく出来ており、単純に映画として面白い作品でもあります。
「女子高生自殺事件」を追う過程では、ドキュメンタリーを撮る人のドキュメンタリーのような塩梅で楽しむことが出来るし、「メイの妊娠」ではただ由宇子が思い悩むだけでなく、メイと心を通わせていく過程がとても丁寧でどこか微笑ましく映されています。
そして、遺族とメイの抱える「真実」が由宇子と観賞者を惑わせてきて、先の読めない展開の数々はかなりスリリング。この全く別の2つの事件が、由宇子にとっては同列の問題として絡み合っていく展開も含めて脚本が非常に優れています。
上映時間2時間半、BGMも冒頭のリコーダーを除けば全くなしといった具合に、中々挑戦的な内容なんだけど、脚本と作劇の見事さで時間を忘れて没入することが出来ました。


俳優もいぶし銀のバイプレイヤーズを召集しており、主演の瀧内公美のサバサバしながらも混沌とした状況を前に泥臭く藻掻く姿はやはりハマっており、彼女の父親である光石研も絶妙な存在感でその役割の説得力を持ちます。
メイ役の河合優実は『サマーフィルムにのって』の眼鏡ッ娘ビート板が記憶に新しかったですが、同作で見せた瑞々しさとは真逆の鬱屈とした感情を抱えるファム・ファタールとして見事に演じ切っております。
そんなメイの父親である梅田誠弘は微塵も知らない役者だったけれども、優しいというよりヘラヘラしているだけのように見える絶妙な「DV疑惑のある駄目親父」っぽさがあって(失礼)良かった。そんな彼の印象が反転する「あれ…?」って感じの日常動作も極々自然で印象的でしたね。


映画全体の感覚としては深田晃司監督の『よこがお』に近い感じでしたかね。自分は何も悪いことをしたワケでない人が外部の罪でどんどん押し潰されていく感じとか、交流を深めていく内に親愛とか友愛とも違うドロドロとした別なナニカが内面に滾るようになる女×女の関係性とか。
このような複雑な人間心理や展開を、長編2本目の新人と言って良い春本監督が撮ったことにも驚かされますが、聞けば長らく助監督を務めていて技術を磨き抜いていたとのこと。脚本も前作『かぞくへ』の製作以前からずっと温め続けていたらしく、その全体的な練り具合も納得です。『かぞくへ』も今、観る手段がないのが惜しいですが、いずれ観てみたいところですね。また一人、注目すべき監督が増えてしまった。
中々ヘビーな内容ではあるため観賞に覚悟自体は必要ですが、一度観てしまえば心にずっしり残ることは間違いなしな秀作であるためお勧めです。

超絶オススメ!!