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鬼火のRのレビュー・感想・評価

鬼火(1963年製作の映画)
5.0
素晴らしい映画です。諦観の映画。誰しもが陥り得るリアルな絶望。主人公のアランは結婚に失敗、大した金もなく、セックスする気力も萎え、アル中治療のため病院に入って無為な生活を送っている。彼は語る。ずっと待ってる。待ってるだけ。何かが起こることを。医師は問う、いろいろと苦しんでることがあるんだろ? いいえ、永遠の苦悩がひとつあるだけです。人生はいいもんだよ。どこがです? アランはひとりつぶやく、人生はゆっくり進みすぎる。明日、ぼくは、自殺する。アランは人生最後の1日、かつて青春時代、酒と薔薇の日々を共に過ごした友人たちを訪ねて歩く。結婚して、世間に馴染み、平凡な生活をおくり、お前も大人になれ、と語る友人、麻薬に溺れ、朦朧とする友人たち、昔の情熱そのままに、政治運動に勤しむ友人たち、俗物化した友人たち。みな仮初の幸福にのみ目を向けて、平気で暮らしてる。彼は誰の心にも触れることができず、誰も彼の心に触れられない。上辺の親切さ、その場かぎりの慰め。陰では、アランに冷たい視線を送っている。刻々と終焉に向かうアランの時間を冷たく切りとるカメラ。オブジェとサンチマンを往来する意識の流れ。心に響かぬセリフ。やさしくもむなしくひびくエリックサティ。グノシェンヌ、ジムノペディ。非情に切り裂くナイフのように冴えわたったスタイルでアランの彷徨が描かれていく。マジ素晴らしい。昔の映画なのに、いま見てもまったく斬新。ボクすでにこの映画10回くらい見てるのだが、見るたびに感じるものが深まっていく。いろんなシーンでふと思いを馳せる瞬間が多い。様々なものが心に浮かぶ。映画には直接関係ないが、それについてすこし触れておきたい。ひとつ目が、ボクが最近好きでよく聴いてるPackt like sardines in a crushd tin boxという曲。Radioheadというバンドの僕の最も好きな曲のひとつで、はじまりにAfter years of waiting nothing came (何年も待ち続けた果てに何もやって来なかった) と歌われるのだが、まさに本作のアランに当てはまる歌詞だなと思った。待ってたらきっと何か特別なことが起こるだろう、そう思うことは、人生の恐るべき錯覚のひとつで、容易に人を絶望に陥れる、代表的な思考パターンだと思う。一体どうしたら人間はそういう泥沼から抜け出せるのか。そう考えたとき、やっぱほんとに心から信頼でき、ベタっとした、もしくはベタベタした、愛のある人間関係が絶対に必要なんやろなーと思った。そして、もうひとつ、最近の日本の映画『恋人たち』もそこそこ似たようなテーマを扱ってるな、と感じた。恋人たちの方がもっとずっとセンチメンタルやけど。誰に会いに行っても誰ひとり真の救済にならない。まぁ当たり前やけどね、他人の魂を救済したいだなんて考えながら日々生きてる人なんて、この世にひと握りもいないだろう。救済の手を差し伸べられたところで、拒絶してしまう、矛盾するプライドがあったりもする。この映画を見てると、本当に真の自分を開花して、発揮して、自分の願望に正直に、素直に生きるのってめちゃくちゃ大事なことなんだなぁとしみじみ感じる。だれも彼も、表面を取り繕おうとするなかで、何が何だか分からなくなって、自分の正体も知らぬまま、解らぬまま、上の空で、グレーな人生を送っている。そんな生活の行き着く果て、それがアランの彷徨なのだろう。何と鋭い刃であることか! 最後に、本作で最も印象に残るカフェのシーンと俳優の演技に触れて終わりたい。街を通り行く女たち、オープンカーで通り過ぎる若者たち、神経質に歩き回るウェイター、秋波を送る女、ストローをこっそり鞄にしまう老人。セックスも、女も、男も、恋も、仕事も、結婚も、子育ても、老いも、永遠に続く無意味な不条理のループ。まさに枯れ始め期にいたモーリスロネ演じる、やさしい諦め、くっと飲み干す、麻薬の液体。素晴らしい演技に涙がこぼれた。アランに会いに行きたくなった。マジで素晴らしい! 素晴らしい映画!

ちなみに
Radiohead
Packt like sardines in a crushd tin box
https://youtu.be/LwE4LNP8zsI

もひとつちなみに、シングルマンという映画が、この映画にちょっとだけ似てるので、それもいっしょにオススメしたいです。
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