亘

鬼火の亘のレビュー・感想・評価

鬼火(1963年製作の映画)
4.1
【絶望】
人生は僕にとって緩慢すぎる。だからスピードを速める。過ちを直すために。―アルコール中毒患者アランは自殺を決意する。決行日の前日彼は、パリに戻りかつての友人たちを訪ね歩く。

人生に希望を見出せないアランの最期の48時間を描いた作品。アランは、ニヒリズムに陥りながら自分は特別だという意識を持っている。傍から見ればモラトリアムの中でグズグズしているように見えるかもしれない。それでもジムノペディはじめエリック・サティの悲しげな音楽は彼を批判せず、逆に同情し寄り添っているよう。その点で暗い作品ではあるけれども、気分がふさいでいるときに見た方がより共感し良さを理解できる作品かもしれない。

本作の”酒”は現実世界の虚無のメタファーなのかもしれない。治療中は酒を飲まずに虚無な現実世界との接続を断っていた。そして施設からパリという現実世界に戻り何かが起こることを期待していたが結局は現実世界は虚無であり続け彼は変わらなかった。彼が断酒後の1杯で感じる苦しみは、再び現実世界の強烈な虚無に直面した絶望だろうし、終盤の泥酔もまた虚無に飲み込まれているのを表しているのだろう。

アランは、アルコール中毒患者の療養施設に暮らしていた。医師からは「もう完治しているから出ていい」といわれるが拒む。彼は人生に希望を見出せず、外の世界に出ても希望がないし目標もないからこそ外に出る気力もないのだ。彼は人生が変わる何かが起こるのを待っていたが待てども何も起こらない。だからこそ彼は自殺を決意する。

そして彼はパリにかつての友人たちに会いに行く。彼自身まだ何かが起こるのを期待していたのだろう。自殺を決意していたが、パリで人生に希望を見出せる何かが起これば自殺を辞めようという最後のあがきだったのかもしれない。しかし何も起こらないのだった。

パリでは、旧友たちがアランとの再会を喜ぶが、陰ではアランの顔色の悪さを気にしている。かつては美青年で軍人として指揮を執った彼の変わりように驚いているのだ。アランが絶望している一方友人たちはそれぞれ人生に幸せを見出し生きていた。

[平凡と安定:デュブール]
友人デュブールは古代エジプトについて研究をつづけながら今では結婚し子供もいた。アランとは対照的で幸せそうだけど、彼はデュブールの生活を”平凡”だと嫌う。アランは”平凡”ではなく特別な者になりたいと願っている。今のまま年を取るのも嫌である。一方デュブールはそんなアランを「大人になるのを拒み青春にしがみついている」と一蹴し、平凡で安定した生活を肯定する。一方アランにとって必要なのは生きるに値する欲望や平凡ではない生活。結局彼はデュブールとのやり取りからは生きる希望を見つけられずにいる。

[何かへの没頭:芸術家、マンヴィル兄弟]
芸術家の友人とも再会するが、彼らの言葉は内容がなく上滑りしている。軍隊時代の友人マンヴィル兄弟たちはいまだに左翼活動に精を出しているが、アランには勝ち目のない戦いを続ける理由が分からない。芸術家もマンヴィル兄弟も何かに没頭している幸せを見出しているが、アランにはそれがない。没頭するに値する何かや確かな意味のある何かが分からないのだ。そして彼は約3年ぶりに酒を飲み朦朧とする。

[社交界:ルロワたち]
旧友ルロワの家では、パーティに参加する。そこで人々はインテリな会話を楽しんでいた。身なりが良いのでみなそれなりにステータスのある人々だろう。そんな場で彼の振る舞いは浮いていて、参加者から無視され疎まれている。美女に囲まれても虚無に包まれ、ここでアランは酔って自分の感じる虚しさを説き荒れる。そのセリフはニヒリズムであると同時に「ものに触れても何も感じない」と実存主義的な響きもある。彼自身生きることの本質を知りたいのだろう。ただ人々は本質を知らずに生き続けている。結局ここで何か見つけるわけではなくあきらめて去るのだった。

そして彼は予定通り7/23朝に自殺をする。それも身だしなみも整えて本を一冊読み終えると自然に決行する。後腐れがないというよりも、やはり生きててもその後に何も起きないという諦めなのだろう。「僕は自殺する。君たちが僕を愛さず、僕も君たちを愛さなかったから君たちにぬぐえぬ汚点を残し自殺する」という遺書は、結局のところ彼は人生を変える希望を他人や外の世界任せにしていたということだろう。ただ外の世界には虚飾しかなく彼が生きたいと思える世界がなかったのだ。

印象に残ったシーン:アランとデュブールが散歩するシーン
印象に残ったセリフ:「人生は僕にとって緩慢すぎる。だからスピードを速める。過ちを直すために」

余談
タイトルの「鬼火(Le Feu follet)」は何もない空中に漂う火の玉現象のことです。まさに希望のように見せて実体のない”虚無な現実世界"を表していると思います。これと似た現象が青春映画のタイトルにもなっている「セント・エルモス・ファイアー」です。
亘