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ブロークン・フラワーズのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ブロークン・フラワーズ(2005年製作の映画)
4.3
 青いポストに届けられたエアメイル、集荷に来たUS MAILのトラックに集められ、アメリカ各地へ送られて行く。アメリカの都市部、広い庭先を持つ一軒家、玄関先に投げ入れられた封筒の束。物音すらも聞こえないまま、ドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)はソファに腰掛け、アレクサンダー・コルダの34年作『ドン・ファン』をただじっと眺めていた。その姿に苛立つ愛人のシェリー(ジュリー・デルピー)はドンにすっかり愛想を尽かし、荷物をトランクに纏め、2人の愛の巣から旅立って行くが、ドンはシェリーの決断を止める様子もない。男はIT業界で巨万の富を築きながら、烈しい鬱で無気力な様子だった。シェリーが出て行った日、ドンの家に届けられたピンク色の封筒、差出人不明の手紙には「あれから20年、あなたの息子が探しに行きますから」と一方的な報告だけが書かれていた。困惑したドンは隣に住むエチオピア人のウィンストン(ジェフリー・ライト)に相談をする。ピンク色の封筒にピンクの文字のタイピング、切手のデザインはキツツキ。これらの手掛かりだけをヒントに、素人探偵であるウィンストンは浮名を流した女のリストを教えろとドンに迫る。彼が一生懸命思い出した5人の女のリスト、不幸にもミシェル・ぺぺは5年前に他界していることがわかるが、他の4名は健在だった。ウィンストンは4人の家を巡る旅の行程表を渡し、浮かないドンはかつての恋人たちとの再会の旅に出る。

 一見してジュリアン・デュヴィヴィエの38年作『舞踏会の手帖』を想起させる物語は、生粋のコメディアンであるビル・マーレイの笑顔を隠した無表情の魅力に集約される。一貫して鬱状態にあるドンは常に、全ての喜怒哀楽を無表情という免罪符で誤魔化す。やり手のIT実業家が、隣に住むエチオピア人の旅の行程に全てを委ねる受け身のユーモアは、自分探しの旅=ロード・ムーヴィとしての性質も帯びる。かつての恋人の突然の来訪に対し、女たちは各人それぞれに困惑した表情を浮かべる。かつては「ドン・ファン」のような優雅なプレイボーイ生活を送っていたドン・ジョンストン(冗談のような名前!!)はもしもこの人と結ばれていたらとひたすら過去を思う。しかしながら身寄りもない独身50代の孤独な人生は、どちらを明確な勝者とも敗者とも線引きしない。ローラ(シャロン・ストーン)とはちゃっかりと夜を共にしながらも、徐々に苦悶の表情を浮かべる主人公の姿。特に2件目に辿ったドーラ(フランセス・コンロイ)の家で食べた料理の味気なさを、フォークで串刺しにした人参で表現するビル・マーレイの即興演技が素晴らしい。3件目で出会うカルメン(ジェシカ・ラング)よりも印象に残るアシスタントのクロエ・セヴィニーの描写、70年代のバイカー集団の遺物のような環境に取り残された4件目のペニー(ティルダ・スウィントン)とドンとは、もはや前時代に取り残された20世紀の遺児としての滑稽さを帯びる。

 息子だと信じて疑わなかったマーク・ウェバーが去った後、車中から不敵な表情を浮かべるのは、ビル・マーレイの最愛の息子ホーマー・マーレイに他ならない。フィクションの中にほんの少し散りばめられたノン・フィクションの萌芽、『デッドマン』から3作続く物語の定型からのジャームッシュの小気味良い逸脱は今作で一つの到達点を迎える。図らずもこの年のカンヌでは、兄弟子で盟友でもあるヴィム・ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』、デヴィッド・クローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と過去を巡る男たちの旅の主題が3作重なるという2005年の一つのトレンドを作った。病巣を抱えた男たちの旅の主題は、2001年にアメリカを襲った9.11同時多発テロとも無縁ではない。平和な21世紀を迎えたはずの主人公たちは、三者三様にかつての傷が疼き、病めるアメリカと向き合わねばならない。残念ながらパルム・ドールはベルギーのダルデンヌ兄弟の『ある子供』(傑作!!)に奪われたものの、今作は第58回カンヌ国際映画祭においてヴェンダースやクローネンバーグを押し退けて見事、審査員特別グランプリを獲得した。
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