むぅ

プロミシング・ヤング・ウーマンのむぅのレビュー・感想・評価

4.6
試金石になる、と思った。
レビューを読み漁っていて、そう思ってしまった。

観終わると、頭の中に色んな言葉が渦巻く映画。心の思い出横丁への道を開く映画。何も浮かばず気持ちが真っ白になる映画。
色々あるけれど、しばらく自分のまわりから音が消えるような感覚になった。音楽がとても印象的な映画だったのに、音は消えカラフルでポップな映像が心に残った。

レビューを書く時に、なるべく"男性" "女性"に分けて書かないように気をつけているけれど、ちょっと今回はその自信がない。
そして言葉が強くなってしまうだろうとも。



ちょっとネタバレします。






どうしてニーナにあんたの名前がつきまとうの?
あんたにこそ彼女の名前がついて回るべきでしょ。

私も一人でバーに行く。
そのバーのカウンターで女性が酔い潰れている時に交わされるあの目配せと含み笑い。
そこにバーテンダーが加わっていて、もう二度と行かないと決めたお店があったなと思い出した。
でも「大丈夫ですか?私もう帰るんですけど一緒に帰りません?」と声をかけなかった私も同罪なのだと思うようになったのは、それより少し後のことだった。

酔っていたって、肌の露出の多い服を着ていたって、それは理由にはならない。
ふざけていて、若気の至りで、それは言い訳にすらならない。

ラストシーン近くキャシーがニーナのことを少し語るだけで、ニーナがどんな女性だったのかは描かれない。
敢えて、なのだと思う。
彼女がどんな人であったって、どんな状況であったって、それは犯罪。それなのに、その被害者への誹謗中傷を見かけたりする。
ニーナへの誹謗中傷が物語の外では起こらないように、そんな風にニーナを描いたのかなと思った。

本来ならば性犯罪における加害者・被害者と書くべきなんだろうけれど、男性の方が財力や権力を持ちやすい社会構造であったり、体力や腕力はどうしても男性の方があることが多いと思う私は、性犯罪の被害者と聞いたらどうしても先に女性が浮かんでしまう。
そして本当は間違っていると思いつつも、自分を守るためにお酒の場以外でも注意を払うことがある。
それを無くすためには。

そんな自分の感覚を振り返りながら、キャシーの復讐の「IIII +/」の"/"に私も入っているのだ、と思った。


あんたの名前がまとわりついて
ニーナはニーナじゃなくなった。

もう一度ニーナをニーナにするためのキャシーの「IIII +/」
目が離せなかった。
むぅ

むぅ