柳之貓

ザ・ケーブの柳之貓のレビュー・感想・評価

ザ・ケーブ(2019年製作の映画)
4.0
「何でこんな時に子供を持つの」
「そう言うあなたを神は許します」

この言葉がとても響いた。
小児科医を志し、専門を学ぶ前に紛争に巻き込まれた医学生のアマニ・バロアは、女卑の旧習色濃い社会に在りつつも認められ、文字通り多くの人々を救っていたが、終わりの見えない悲しみと、次から次へと湧いてくる理不尽さに、思わず苛立ちを感じたのだ。
しかし彼女が人の為に尽している事を知っている同僚は、彼女のやるせなさが分かっている。神が許すとは、「僕は君のことを責めないよ」と同じ意味なのだろう。

戦争とは、砂っぽい荒廃した地方で起こる、自分たちとはかけ離れた生活や習慣を持った人々の事だと感じていたが、それが私たちと同じ様にスマホを持ち、新生児保育器などちゃんと整った環境でも起こることだと気付いたらゾッとした。自分がそれなりに恵まれて暮らしているこの土地でもああなり得るのだ。

シリア紛争の事はよく知らないから、誰がとか何処が悪いかは論じない。何より対象を大きくしたら重点がボヤけかねない。ただ一つハッキリ言えることは、民間人を爆撃する事に恐らく義は存在しない。何故政争の手段に巻き込まれなければならないのか?国を代表しての統治は任せても、生殺与奪権までは明け渡す者は誰もいないだろうに。

いま2021年は世界的に伝染病の脅威に未だ脅かされているが、それでも長く続けば人々は順応していく。それが紛争や爆撃でも、人は笑いを取り戻し、喜びを見つけられるーーただ死はぐっと近づいてはいるのだ。そんな死と隣り合わせであっても、子供達は地下の遊具で遊び、目一杯の笑顔を見せる…その笑顔は胸にこみ上げてくるものがあった。
それは大人であっても違いはない。
地下トンネルの病院、ケイブ(穴ぐら)で日々人助けに奮闘する医師が、スマホからクラシックを流して手術に当たる姿は、何処かで見たような、妙に親近感を覚えた。

しかし、日々人の命を救っているような医師でも、やれる事の限界にぶつかって無力さを嘆く事はあるのだ。
医療従事者の言葉に「死に慣れなければいけない、だが死に平気になってはいけない」とある。
あたかもノブレスオブリージュのような、優秀な人たちだからこそ抱え込んでしまうジレンマなのだが、そういった人たちが救いを得られないような世界は、あるべきではない。
彼らが過ごしていた日々は、メトロポリスのERでのそれと似ていたかも知れない。しかし搬送されてくる人々が全て被害者であり、それが日々延々と続き終わりが見えないというのは、どれだけ彼らを消耗させてきたことだろう。

シリア内戦は、難民流出くらいしか印象ごなかったから、兵士を描いた戦争映画では伝わることのない戦争の有様というものが、一部でも世界の目に触れることができることで、何かが良い方向へ変わる動力になりえる事を期待したい。
柳之貓

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