ちくわ

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のちくわのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

単純な右翼 vs. 左翼の二極対決ではなく
さらに突き詰め お互いが理想とする人間像とは…というところにまで双方歩み寄るとは。
そこに至るまでがまさに「圧倒的熱量」。
これは本当に面白かった。あまりに面白くて笑ってたのに「なんでここで笑うの?」と家族に不思議がられた()

三島に対する人間的興味と、言葉の持つ力について。

まず三島についての。
揺るがない精神的強者としての自己を形成するため想像もつかないようなストイックな訓練、鍛錬が背景にあるのだろうと、文武両道の実績から想像できた。
かと思えば、雄弁に語りつつも飽くまで一貫してそんな自分をも常に俯瞰して捉え、ユーモアに変換し学生の心を捉えていた。(計算的であるにせよ元々自身に備わっている人間性まで武器にしているように思えた)。
既成概念にはない革新的、前衛的な問いを投げかけられたとしても
自身の理論に当てはめかつ聴衆の苛立ちを誘う事なく聞かせる技術が異常に高く、本当に隙がない。
全共闘の論理展開(三島に対してだけでなくいつの間にか学生同士でなんて事も😂)が三島を堕とすという事よりも純粋な社会への問題意識へと白熱していったのも、学生の中での三島へのプラスな印象の変化がそうさせてるのではないかと感じた。

これは個人的解釈というかもはや憶測だが、理屈じゃなく「嫌な感じがしない」というのがどれほど重要かという意識が、恐らく三島にも全共闘の学生らにも、そしてこの作品を見る視聴者達の中でも共有されているのではないか。
そしてそれは他でもなく日本人独特の「空気を読む」という風習があの場にいた大多数の人間に(色々言ってはいても)根付いていて、それが時代を超えても変わらぬ事の証明なのではないかと思った。
自己を既成概念に当てはめるのは悪と言っていても結局はどこまで行っても日本人は日本人じゃん!
と思った。
でもそれは別に良い事、悪い事と判別するものでもない。
俺はそうなんだよ!!(天皇論についての議論で)という趣旨の三島のあまりに真っ直ぐな発言に、学生たちと同じタイミングで笑ってしまった。

では本質は何だろう。
色々複雑に絡み合っているが最初に書いたことが一番シンプルな問いというか提起だったと思う。

話す力があるのは吸収する力が強いからなのだろうと、双方の聴く態度と"相手の主張を受けての主張"を見て思った。
昔の人は本を読み議論をし演説を聴く事で知識や疑問を育んでいった。言葉の持つ力を本当に信じていたのだ。

その熱意をぶつけ合い相手を負かす、のではなく互いを理解しあうものとして認識する場となっていくのが、瞬間瞬間の三島や学生の表情から窺えるのと、
当時を振り返る関係者、研究者らの総括とが交互に映し出され、浮き彫りにされていく構成が非常に趣深く楽しかった。
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