GreenT

シングルスのGreenTのレビュー・感想・評価

シングルス(1992年製作の映画)
1.0
グランジ・ムーブメントが盛り上がってきた1980年後半から1990年初頭のシアトルを舞台に、当時の世代、「ジェネレーションX」の恋愛と生活を描いています。

リンダは環境保護団体?みたいなとこで働いてるヤッピーで、甘い言葉で近寄ってくる男に騙されまくって男が信用出来ない。親友のパムと今一番ホットなクラブでグランジ・バンドのライブを観ていると、スティーブにナンパされる。

スティーブは、この人何屋なんだかわからないけど、マス・トランジット(公共交通網)、要するに地下鉄システムみたいなものをシアトルに導入して、排気ガスを生み出す車文化を止めようよ、というこちらも環境に優しいヤッピー。

ああ〜この2人に全く感情移入出来ない。自分の主義主張やライフスタイルに合った仕事が選べて、仕事人間にならずに夜はヒップなクラブに行くという特権階級。

こういうヤッピーがグランジみたいなきったねーカッコして「反資本主義」「反フェイク」なサブカルを支えていたという、欺瞞の塊みたいな映画だなあ〜。

キャメロン・クロウは、なんでこの映画撮ったんだろう?iMDb によると、前作『セイ・エニシング』で曲を使ったシアトルのローカル・バンド、Mother Love Bone のリード・シンガーがドラッグ・オーバードーズで亡くなったため、1984年にアリゾナを舞台に書いた脚本をシアトルを舞台に作り変えて、ローカル・シーンを描く映画を作りたかったそうだ。

・・・というエピソードを読んでも全くピンと来ない内容の映画。リンダとスティーブの「ヤッピー」カップルの大学時代の「フリー・セックス文化」とか音楽嗜好なんかを紹介しながら、2人が「シングル(お一人様)が一番!」と思っているのに恋愛にハマって行く様子を描いている。

と並行して、スティーブの住む “シングル” ベッドルームのアパートの住人、クリフとジャネットの恋愛模様も描いているのだが、こちらはヤッピーではなく、「ヒップスター」だ。

ジャネットはコーヒー屋のバリスタ、クリフはグランジ・バンドのボーカルで、花屋の配達とか様々なバイトをしている。

大企業で奴隷のように働かなくても、自分の好きなことをやってのんびり生きるくらいのお金はバイトで稼げる、みたいなライフスタイルが美化されていて、「はあ〜こういうのに騙されたよなあ〜」としみじみ思う(笑)。

またこういう白人中流家庭の子供たちが、都市部の貧しい人たち(主に黒人)が住んでいる地域が安いからと押し寄せてきて、それでどんどんヒップな地域になって地価が上がり、結果的に貧しい人たちが追い出される “gentrification” の元凶になったのだ。それは『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』でも描かれている。

そういう後々に与えた影響を考えると、こいつらが恋愛だのなんだのってチャラチャラやっているのを見ると腹立ってくる。

キャメロン・クロウは、フィルム履歴を見るとグランジ・ムーブメントにかなり関わっているようなんだけど、世代的にはブーマー世代。なのでこの映画も、ジェンX世代を真摯に描いているんじゃなくて、バカにしてんじゃないの?って思えるところがしばしばある。

だって、リンダが環境保護に熱心なのに、ガソリン食うバカでかいアメ車に乗っているのは、「親から受け継いだ」と言っていて、この頃のヤッピーたちの主義主張は口だけで、結局は親世代のやってることを繰り返しているだけだし、親が金持ってるから、環境だなんだってこだわる余裕もある、って言っているように見える。

グランジ・バンドの描き方も、そんなにムーブメントが気に入ってサポートしている割には、茶化しているとしか思えない。クリフのキャラが「エゴだけは尊大で、あんまり頭良くないし、才能もそこそこ、ちょっと流行遅れなミュージシャン」って感じで、バンド名のCitizen Dick ってのも、あまりにも馬鹿げている。

こういうバンド名とか、”Touch Me, I’m Dick” って曲名とか、実在したローカル・バンドのバンド名や曲名のパロディらしいんだけど、笑えるっていうより蔑んでいる感じがした。

クリフもセリフの中に、

「意味のある音楽はどこに行ったんだ?キッスやツェッペリンやパープルやサバス・・・・今のバンドは薄められたファッションだ。ビールとライフ・スタイルのための音楽ばかり」

ってのがあって、これがキャメロン・クロウ世代の人の本音だと思うんだけど、んじゃなに、グランジ・バンドの薄っぺらいところを敢えて描いているの?

だとすると、パール・ジャムやサウンドガーデンが好意的にこの映画に協力しているのが解せない。自分たちのパロディなのに。

ニルヴァーナは、キャメロン・クロウは曲を使いたかったらしいんだけど、「ただシアトルが舞台になっているだけのラブコメだから断った」んだって。当時、シアトル・サウンドの一番手だったニルヴァーナがこの映画で全く触れられていないのが解せなかったが、カート・コベインは結果的にこういう芸能界の欺瞞に耐えられなかったんだろうな。

制作会社のワーナー・ブラザーズは、この映画をどう宣伝していいかわからなくて、9ヶ月も据え置いていたんだけど、その間にニルヴァーナの『ネバー・マインド』が大ヒットしてシアトルが注目され始めたからこの映画を公開したらしい。

で、この映画がヒットしたら今度はTVシリーズにしようとし、キャメロン・クロウは断ったんだけど、結局はアイデアだけ取られて、それが『フレンズ』になったらしい。

という経緯を見ても、やっぱこの映画、ジェンX世代の薄っぺらさを浮き彫りにしちゃっている気がする。『あの頃ペニー・レインと』や『初体験/リッジモント・ハイ』がめちゃくちゃリアルで面白かったのは、キャメロン・クロウ自身の世代だから上手に描けた、ってだけだったのかな?
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