ラウぺ

ミナリのラウぺのレビュー・感想・評価

ミナリ(2020年製作の映画)
4.1
1980年代の前半、カリフォルニアからアーカンソーに移住してきた韓国人のイー一家。韓国を出てから10年、アメリカンドリームを実現したい父のジェイコブはこの地で50エーカーの農地を耕し韓国野菜の農場としたい、と思っていたが、妻のモニカは夫の身勝手さに辟易している。息子のデイビッドは心臓に病気を抱え、モニカの不安は尽きない。ジェイコブはモニカの母スンジャを呼び寄せ、一緒に暮らすことにするが・・・

現代版「大草原の小さな家」といった趣の作品ですが、理想に燃える夫と、それを最優先する夫に不満を抱く妻の間に起きる不協和音、未開の地を農地に変える苦労と病気の子供を抱える不安など、さまざまな要素が絡み合い、決してほのぼの系の映画とは言えないちょっと辛口のアプローチ。
物語の進行とともにさまざまな不安要素が沸き起こり、それが大事になるのではないかという不安が常につきまとう展開は観ている側に静かな緊張を強いてきます。
ジェイコブは農地には欠かせない水源を捜すのに怪しげなダウジングで水を見つけるという男のセールスを断わり、自らの知恵で水源を探し当てる。
しかし、出だしは順調に見えた野菜の栽培も予期しない困難が待ち受ける・・・

ジェイコブはモニカにこの場所の肥えた土がこの場所を選んだ理由だ、として成功を確信しているのですが、モニカはそれに納得しようとしない。
ジェイコブはモニカと結婚して韓国を出るときに「アメリカで成功してみせる」と約束したことを自らの生きがいとしてきたこと、そのことがいまやモニカにとって亀裂の根源となっているのです。
ジェイコブはモニカに「アメリカに移住してくる韓国人は年間3万人も居るそうだ」という。
1980年代の韓国の政情を考えると、軍政下の韓国をベイルアウトしてアメリカで活路を見出そうとする韓国人がどれほど多かったか知れる数字でもあります。
アーカンソーの孵卵場でモニカの横に居た韓国人がキリスト教の韓国教会との関わりを避けるために田舎暮らしをしていると語る場面、都会の韓国人ディーラーの非常識な振る舞いなど、在米韓国人の中にもさまざまな種類の人が居て、一括りにできないそれぞれの事情があることが窺われるのでした。

一方で、一家がはじめて教会に行く場面、デイビッドと同じくらいの少年がデイビッドをじっと見つめ「なんでそんなに顔が平べったいの?」と聞くのですが、差別というより、東洋人をはじめて目にした子供の素直な感想のように見えます。
ジェイコブにトラクターを売ったポールは(狂信的ともいえる)熱心なキリスト教徒で、ジェイコブはその様子に引き気味なのですが、畑作業の手伝いやジェイコブの土地に纏わる忌まわしい過去を御祓いしようとするなど、イー一家に献身的な協力を惜しまない。
アメリカの田舎に移住してきたアジア人一家に差別的な描写がほぼないといえる物語は、かえって人種の別なく移民を受け入れるアメリカ社会の”こうあるべき姿”として描写しているとも思えるのでした。

また、物語はスンジャが韓国から移住してきたことで一家に変化をもたらしていきます。
毒舌で歯に衣着せぬ物言いのスンジャにデイビッドはなかなか懐かないのですが、少しずつその距離は縮まっていきます。
そうした中でもジェイコブとモニカの距離は開いていく。家族それぞれの思いと開拓の現実に直面する姿を見ていると、これは韓国人一家の物語というより、アメリカの歴史のひとつのシンボルとしての物語なのだと確信するに至るのです。
アメリカの歴史は未開の地に分け入り、さまざまな困難を経て成功してきた移民の歴史であり、イー一家の物語はそれを地で行くことで、民族的な枠を押し破り、普遍的な物語として描いているのだと思います。
そういう意味でも、韓国語が50%以上を占めているという理由で、ゴールデングローブ賞での作品賞ではなく外国語映画賞としてのカテゴライズは旧来の価値観による狭量な判断であり、残念と言わざるを得ません。
対してアカデミー賞での作品賞ノミネートはこの作品が作品賞候補に相応しい実力を備えていることの正当な評価であり、こうした旧弊は今後解消されるべきと思います。

物語はさまざまなエピソードが重なり、イー一家にとっても正念場といえる事態がやってくるのですが・・・そこから先は観てのお楽しみ。
語り過ぎない控えめなエンディングが、この作品を更に味わい深いものにしていると思うのでした。
ラウぺ

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