シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

ラスト・ショーのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

ラスト・ショー(1971年製作の映画)
3.9
「ペーパー・ムーン」のピーター・ボグダノヴィッチ監督作品。ペーパー・ムーンと同じく敢えての白黒。
小さなアメリカの田舎町、サニーとドゥエインは平凡な町の若者。息苦しい閉塞感の漂う町で、無為に日々を過ごしながら、恋と友情に煩悶する。
サニーが尊敬するライオンのサムと呼ばれる中年のオッサンの生き方がかっこいい。牧師の息子うすのろのビリーがからかわれた事に本気で怒れるまともなオトナ。
そんなサムが、不倫の人妻との過去をサニーに語り聞かせる台詞。
「あの女が来たら今でも五分でのぼせる」「バカだと思うだろ?」「でもないのさ。ああいう女にのぼせるのが一番利口なのさ」「バカなのは何もしないで老いぼれることさ」
痺れる男の生き様。
このライオンのサムの去りし後に、小さな町は明らかに変わってしまう。
いつも道の真ん中を箒で掃いていた愚直なビリー。そのビリーが悲劇に見舞われるが、大人たちはビリーがなぜ箒を持って道の真ん中にいたのか分からないという。何もない小さな町で、人々同士の理解と共感が無ければ、いったい何が残るというのだろう。サニーはオトナたちに怒りを爆発させる。しかしある人物が糾弾する。私を切り捨てたサニーはビリーを切り捨てたとの同じだ、と。すぐには咀嚼できない台詞だ。しかし人々同士の濃密な人間関係が支えてきた、この町の唯一の良さである人間同士の理解と共感が断ち切られた後、サニーもまた彼を想う誰かの気持ちを踏みにじったのだ。箒を持って道の真ん中で何をしていたのか分からないといった大人たちと同じなのだ。
「道を掃いていたんだよ、馬鹿やろう!」
滑稽にさえ響くような魂の叫びが自分に跳ね返ってくる。誰も面倒がってしないことをうすのろのビリーだけがやっていたのだ。ちょっと考えれば分かること。他人の気持ち。でも我々は時としてそういうことが見えなくなってしまう。自分のことばかりになってしまって。
だから、ラストシーンの許しが、理解と共感の回復を象徴して、一辺の救いとなる。
派手さのない淡々とした映画ですが、考えされられる映画です。