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ビースティ・ボーイズ・ストーリーのMALPASOのレビュー・感想・評価

3.2
『ビースティ・ボーイズ・ストーリー』

ビースティ・ボーイズ、1978年結成からを、アドロックとマイクDのブルックリンでのトーク・ライブの模様で構成したドキュメンタリー。監督は彼らの盟友スパイク・ジョーンズ。

12歳でハードコアパンクバンドからスタートした悪ガキたちのサクセス・ストーリー。
LAベニスのスケボーでスターになった少年たち「ドッグタウンZボーイズ」とダブる。

ヒップポップの印象が強いのかもしれないが、彼らは紛れもないバンドだ!これのドキュメンタリーを観ると成り立ち、計算されたおふざけのプロだったんだとわかる。

とにかくエモい!

こんな歳になっても大人になりたくないなと思ってしまうのはこういうパイセンがいたからだと思う。
彼らを知った時はMTV全盛の頃。音楽はビジュアルから入る時代に見た
♪ ファイト・フォー・ユア・ライト
のミュージック・ビデオ。コメディアンの悪ガキがふざけているのかと思った。

まだ骨董通りにパイドパイパーハウスがあった時代。電車が嫌で基本都内は愛車クイックシルバー(自転車)で移動してたあの頃。バイトして映画とライブばかり観て、毎日とんでもなく楽しく生きていたー。
アメ横で買ったLAレイダースのジャンパーとアディダス履いてたのはこの人たちの影響。1986年、RUN-DMCが初来日。NHKホールは大混乱で、客が2階から飛び降りて前に押し寄せてたのを覚えている。
9月にはプリンスが初来日。横浜スタジアムのアンコール、♪パープルレインで雨が降り始めるという奇跡を目撃。
翌年、マドンナが初来日。「トップガン」が公開されて、またアメ横に行って買ったMA1を着る。そして、エアロスミスが再活動し、1988年に日本にやって来た。

初めて彼らのライブを観たのは、そんなカオスな頃、1986年初来日の後楽園ホール。ギュウギュウのホール、最前列で被りつきで観ていたら、マイクDに頭からポカリスウェットを浴びせられた。
最後の♪ ファイト・フォー・ユア・ライトの時だったけど、スターに押し上げた代表曲はライブで2度と聴かなかった。

高校のトークショーのアフリカ・バンバータ、Run-D.M.C.との出会い。リック・ルーヴィン、ラフ・シモンズ・・・エピソードが全て面白い!
Def Jam創設話も。

サマソニに登場し、フジロックでの日本最後のパフォーマンス。2012年アダム・ヤウクが癌で死んでもう観ることは出来ないけど、いつも楽しかったな。
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