まりぃくりすてぃ

ミッキーの愛犬のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ミッキーの愛犬(1939年製作の映画)
3.9
ヒューマントラスト系(またはアプリン吉祥寺っぽ)な感じの映画館に時間ギリに行ったら、最前列の真ん中へんの一席以外もうないってことでそこ買った。キャパ八十人ぐらいの横長めのキレイめのガヤガヤする真っ暗な小ぢんまりとする中へ入っていったら、なんと私以外の満席客全員がキッズ! 「えーっ」て思って、座高でキッズたちを邪魔しそうで焦りつつ、とにかく座ろうとしたら、シッコしたくなってきた。慌てて廊下に戻ったら、運よくトイレは空いてた。でも一分で済ませなくちゃ。急がなきゃ! と、その時、キッズの一人の掛け声が廊下ごしにかすかに伝わってきた。
「ワン、チュー」

────っていう夢を私は四月中旬頃に見た。コロナ騒ぎでどこの映画館にも行けなくなって、禁断症状的にそういう夢にうなされたんだと思う。こうして書くと楽しそうだけど、同伴の親とか全然いなくて満席キッズが足振ったり囁き合ったりしながら大きな各イスに座ってた完全アウエー感とトイレ急いで感が、目覚めた後の私をちょっとドギマギさせつづけてた。
最後の軽快な「ワン、チュー」なんだけど、それはもうまちがいなく〈ジャンピンジャックフラッシュ〉のイントロのとこ。その頃の私はそういうのばっか聴いてたから。でも、いったい私は何の映画を観ようとしてたのか。それだけがわからない。去年のすみっコやプリキュアみたいなやつかな?

コロナ明けみたいになってる今、すっかりモノグサになっちゃって映画館なんて行きたい気持ちにほとんどならないんだが、、何となくパソ見てたら、ふいに夢の中の映画の謎が解けた(みたいな)!
題名から、この作品以外ありえないでしょ!!


で、、
観てみたら、プルートが主役だった。メス犬はひたすらシナをつくってて弱くて、王子待ちの可愛いコでした。プルートは漢(オトコ)でした。飼い主たち(ミッキー含む)はみんな酷いやつだと思いました。漢(オトコ)待ちのステキな映画だ。ジ・ェ・ン・ダ・ー。。。


私の知る限り、ミッキーマウスが歴史上最もいい仕事をしたのは、ディズニー映画の中じゃなく、西ドイツのエーリヒ・ケストナーが書いた絵童話『どうぶつ会議』のクライマックスのとこ。そこでは端役ながらミッキーも漢(オトコ)になった。

漢(オトコ)待ちの地球!!!!?
マリはリボンショーのほうで頑張ろうかな。それとも都知事選に立候補しよっかな(←何も主張しなければ9000票ぐらいは入るかも。主張したらたぶん暗殺)。

「忘れてた 今年は確か ねずみ年」
(季語/忘→忘年会→飲みすぎてリバース→リバプール→プール→夏)


ところで、、
幼稚園の頃、当時三才上の兄(今も三才上だけど)が私にある日言い渡した。
「マリ、おまえはネズミに似てるから、今日から『ねずみさん』って呼びたいんだけど、いい?」
まだ小っさくてバカだった私は、名前ちゃんづけ系以外のニックネームを誰からももらったことがなくてちょっぴりはそういうのに憧れてたのと、ふだん私を家来扱いしちゃってくれてる者に「さん」づけされるのが何か嬉しくて(一人前になった気がして)、こう答えてしまった。
「はい、わかりました」
「よし、約束だぞ」

ところが! 兄はさっそく私を「ねずみ」と呼び始めた。え?
──「おい、ねずみ!」
──「ねずみ」
何かヘンだぞ。違和感ありすぎるんだが、呼ばれては私はとりあえず返事してた。だって、約束しちゃったから。キッズにとって約束は守るためにある。(大人らとは違う。)

夜ごはんの時だった。兄を母がたしなめてくれた。
「妹にそういう呼び方するのはやめなさい」
父が何と言ったかは、覚えてない。兄はすぐさま抗弁した。
「だって、そう呼んでいいってマリが言ったんだもん」
「そうなの?」
母は訝しげに私を見た。小っさくてバカだった私は、「さん」込みで受諾したんであって「さん」なしはイヤなんすけど、などという複雑な説明はできなくて、ハンバーグか何かを噛み噛みしながら何となく「うん」と頷いてしまった。
言いくるめの翌日の兄は、ますます増長して私を家でも外でも「ねずみ!」と気持ちよさそうに呼び、別のことで兄妹喧嘩になった時には「ねず!」とまで省略した。もはや詐欺師だった。

私はついに、ストレスフリーな名案を思いついて兄との交渉に臨んだ。
「あのね、『ねずみ』よりも『ミニー』がいいと思うんだけど」
「そっか。じゃあ、『ミニー』にしよう」
意外にも、こうして二日目にしてあっさり私は可愛い新たな呼ばれ方を僥倖のようにゲットしたのだった。

それからは、「ミニー」と呼ばれて返事に気合が入った(と思う、確か)。まあ、ミニーマウスは好きだから。
しかし、人前とかでミニーミニー呼ばれてじつは、嬉し恥ずかしというか、これはこれで違和感があるのも否めなかった。
違和感の正体は、やがて鮮やかめに自覚された。
四日目頃、私は勇気をもって再交渉を試みた。
「あのね、あたしだけミニーだと、おかしいでしょ? だから、兄ちゃんのことを『ミッキー』って呼ぶね」
「え、ぼくがミッキー? ……まあ、いいや。そういうことにしよ」
「じゃ、練習ね。ミッキー」
「何? ミニー」

ところが、そもそも兄は、まったくミッキーマウスに似てないのだった。
近所のお坊ちゃんお嬢ちゃんらと遊んでる最中にアホ兄妹が「ミッキー」「ミニー」と呼び合うのを聞いて、面白がったり合わせてくれたりする坊&嬢もいたけど、半数ぐらいは「何でミッキー?」「ミッキーってどこのミッキー?」とか全然納得してなかった。
私たちは微妙な退(ひ)かれを子供心に感じとり、ある夕方、危機感から最後の交渉を迎えた。
「………両方やめよっか」
「うん、やめよう…………」
そこまでわずか約一週間だった。季節は覚えてないが、儚い蜉蝣(かげろう)然としたキッズ期の想い出だ。。。。



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