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ポゼッサーのkuuのレビュー・感想・評価

ポゼッサー(2020年製作の映画)
3.7
『ポゼッサー』
原題 Possessor.
映倫区分 R18+.
製作年 2020年。上映時間 103分。
鬼才デビッド・クローネンバーグを父に持つブランドン・クローネンバーグ監督の長編第2作カナダ・イギリス合作。
第三者の脳に入り込む遠隔殺人システムを使う殺人者と、人格を乗っ取られた男との生死をかけた攻防を、冷徹で研ぎ澄まされた映像や過激な描写の数々とともに描くSFサスペンスノワール。
主演はアンドレア・ライズボロー。
意識を乗っ取られる男をクリストファー・アボットが演じた。
ブランドン・クローネンバーグは、今作品を作るにあたって、2つのものからインスピレーションを受けたそうです。
ひとつは、ホセ・デルガドが1970年代に出版した"PHYSICAL CONTROL OF THE MIND"(心の物理的コントロール)。
Toward a Psychocivilized Society : Toward a Psychocivilized Society"で、無線コマンドで動きを誘発し、敵意が現れたり消えたり、社会階層を変更し、性的行動を変え、記憶、感情、思考過程を遠隔操作で影響することができることを実証している"。
もう一つは、クローネンバーグが過去に制作した短編映画『Please Speak Continuously and Describe Your Experiences as They Come to You』だそうです。

殺人を請け負う企業に勤めるタシャは、特殊なデバイスを用いてターゲットとなる者の近しい人間の意識に入り込み、ホストとなるその人物の人格の所有者(ポゼッサー)となって殺人を遂行する。
無事にターゲットを仕留めた後は、ホストを自殺に追い込み、意識から離脱する。
請け負う殺人はすべて速やかに完遂してきたタシャだったが、ある男の意識を乗っ取ったことをきっかけに、タシャのなかの何かが狂い始める。。。

本作のタイトルになっている"Possessor."は、『所有者』という意味だそうで、コリンの頭の中で対立する、タシャとコリンの意識。
エージェントのタシャを物語の主体として置くことで、コントロール不能になったコリンの意識を『厄介』と感じさせる、逆転の感覚を体感させるあたり、監督の腕の見せ所の今作品は、何よりも、超暴力的なSFホラーであり、ガキの頃なら両手で顔を隠してたかもしれません。
(指の間柄チョコチョコ覗いてたとは思いますが、特に頭皮に臨床用の針を深く刺すシーンは)
しかし、この血生臭さは、想像を絶するとんでもなく不穏なラストを迎えます、奇妙に独創的で興味深く考え抜かれたストーリーの文脈で見なければならない。
この種の映画作品は、すべての人向けではなく、楽しむ人向け映画と云えるかな。

舞台は21世紀半ばの都市、おそらくトロントかな。
そこで、ガーダー(ジェニファー・ジェイソン・リー)が経営する極秘企業が代理人による暗殺を請け負う。
オカルト的な精神侵入技術を使って、ターゲットに近い人物を誘拐して薬物を投与し、白いバンの荷台でその人物の脳と殺人者の脳を接続し、その人物のゾンビ化した肉体に殺人者の意識を導入するイカれた方法で。
犯人はこれを48時間、ロボットやコンピュータ・ゲームのアバターのように遠隔操作し、この操り人形を被害者に近づけ、刺したり撃ったりできるように操る。
アンドレ・ライズボーが演じるターシャ・ヴォスは、企業のトップキラーであり、ガーダーが彼女の将来に強い関心を持ち、タシャを究極の支配者に育て上げるほど優秀な人物です。
しかし、タシャの仕事は彼女の家庭生活を破壊する。
彼女は夫と幼い息子と半ば絶縁状態にあり、暗号殺人を『ボゼッサー』している間は不規則な行動をとり始める。
元コカイン売人のコリン・テイト(クリストファー・アボット)の体に侵入し、彼の優雅な婚約者エヴァ・パース(タペンス・ミドルトン)と将来の義父ジョン・パース(ショーン・ビーン)を殺害し、依頼主である別の家族に有利なビジネスの主導権を残すよう依頼されたとき、事態は制御不能となった。。。

パースはデータマイニング(統計学、パターン認識、人工知能等のデータ解析の技法を大量のデータに網羅的に適用することで知識を取り出す技術)を専門とするハイテク企業であり、この殺人と一騎打ちの設定には、ガーダーとパースのビジネスを成功させる何かがある。
哀れで我慢強いコリンは、傲慢なジョンに仕事を与えられ、彼は、ラップトップの小さなカメラを介して人々を監視する多くの低賃金労働者の一人。
彼らは、インテリア、ライフスタイル、消費者の欲求を評価する。
コリンはすでに不満と疎外感を抱いており、タシャが彼の中にいる間、タシャの心の中に漏れ、タシャ自身の疎外感と家庭崩壊の恐怖と融合していることが示唆されている。

人々の頭の中に入り込むことは、現代のマーケティングにおける聖杯って云えるかな。
かつての広告といえば、魅力的な選択肢を提示した看板を顧客に提示したり、サブリミナル的に特定の商品を勧めたりすることだったのかもしれない。
せや、今やデータリサーチとは、小説家や映画監督のように、顧客の意識の中にスペースを取り、注意を向けさせ、強要することと云える。
これは、タシャの仕事でもあるが、ガーダーの仕事でもある。
彼女は会社の経営者であり、タシャが自分の望むように振る舞うことに関心を持ってる。
今作品は、選択の錯覚を保ったまま、常に大企業の利益のために人々を行動させる、委任の気味悪い寓話として読むことができるかな。
クローネンバーグJr.は、彼の奇妙で創造的な世界を掌握している。
Jr.ならではの控えめで、なめらかで、永遠に暗闇か不気味な薄明かりの中で見られ、ガーダーは彼女自身の技術用語で話し、タシャが力を失いそうになると『マイナーアーテファクト』と『同期損失』について滑らかに警告する。
これは、見てる側はバランスを著しく崩す映画です。
哲学的な雰囲気を持つハイコンセプトな作品でした。
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