Adachi

MOTHER マザーのAdachiのレビュー・感想・評価

MOTHER マザー(2020年製作の映画)
4.1
聞きしに勝る長澤まさみの自己中モンスターマザーの怪演がとても不愉快で、「母」と「女」の変化が「敬語〜タメ口」などの微妙なセリフのその切り替わるタイミングで上手く表現させており、男や息子に依存する堕落さにひたすら嫌悪感を覚える(褒めてます)。
彼女が企む無計画でその場凌ぎな短絡的行動に終始イライラするわけですが、ある意味その稚拙な行動が歪曲した共依存関係のエゲツなさがより際立っていて不快。

秋子が出会う男への対応から見てとれるように、彼女には「依存する/しない」というコミニティケーションの回路しか持ち合わせていない。つまりは対等な関係を築いている人間が一人も存在しないのであって、彼女にはやはり媚びるか従わせるかの思考でしかないのかなと思った。

例えば周平くんが懐く母からの愛の形(と信じている)として、神社でのハグのシーンですが、物語終盤に秋子が吐露する「あの子はわたしの○○」という言葉から分かるように、彼女は小学生の周平くんを抱きしめたわけではなく、ある意味「世界から見放された哀れな自分自身」を抱きしめたのではないかと。
だから周平くんに対して勉強することも、本を読むこともさせない。社会規範を逸脱する行為すらも平気で強要するわけで、要は自分ができないことはするな、自分のできることはできて当然という感覚。
ランボーラストブラッドのレビューの際にも触れたのですが、それは結局のところ周平=自分=所有物という認識でしかないのだということで、「もの」として支配されればまともな思考などできない。

その点から本作への鑑賞者が懐く「愛はあったのか」という疑問に対して、個人的にはNoという解釈です。やっぱりこの話で必要なのはそんな歪んだ愛ではなく、もっともっとまともな愛だと思うから。

この物語に登場する大人のほぼ全員が「周平くんがこの環境にいるのは良くない」といと分かっていながら、誰一人彼を根本的に救うことがことができなかった。それは周平くん自身の共依存といのが一番大きいのはもちろんではありますが、あんなクズ親だとしても、親と一緒にいる子どもに外部から介入するのは容易ではないという問題が横たわっている。

全編に渡り周平くんが1度も涙を流さないのがとても印象的だった。
Adachi

Adachi