亘

ファーザーの亘のレビュー・感想・評価

ファーザー(2020年製作の映画)
4.3
【失われゆく自分】
ロンドンで暮らすアンソニーの元を娘アンが訪れる。彼女は恋人と暮らすため、パリに発つのだという。しかしその後アンの夫だと名乗る男ポールが現れ、さらには別人女性がアンを名乗り現れる。彼は何とか平静を装うが混乱をし始める。

認知症を患うアンソニーが記憶を失っていく様子を描いた作品。数秒前と異なる人物が現れたりあっという間に状況が変わったり、まるで不条理物のSFサスペンスのようにも感じるシーンも多い。ただそれは認知症の追体験。ストーリーと共にアンソニーの態度や世界の見え方が変わっていくのは、認知症の進行を表しているのだろう。
アンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしいのはもちろん、認知症の世界を追体験する斬新な設定とサスペンス感、最後の切ない終わり方まで素晴らしい作品。

時間の経過とともに変わるアンソニーの態度と世界を元にまとめる。
[初期:問題ないと示すためのおどけ]
まずアンソニーは、アンやポールの話から何とか状況を理解しようとする。「ここはこうだったじゃないか」と言われれば「そうだったな」とあたかも平静を装い何とかアンに合わせる。出現するストーリーA、ストーリーA'、ストーリーBを何とかつなげて納得しようとする。
とはいえ譲れないのは、今いるのが自分のアパートであるということと助けがいらないということ。ひたすら自分のアパートだということは主張するし、何か問題があればおどけて見せて自分が元気そのものであることを示すのだ。

[中期:手に負えない怒り]
初めは平静を装っていたアンソニーが次第に偏屈になり怒りっぽくなる。その最たる例は介護士ローラに対しての態度。初めはおどけて踊ったりもしていたのに急に怒り始める。さらには腕時計が盗まれたと何度も主張し周囲に怒りをぶつけ、自分が子ども扱いされていると感じると怒る。
きっと初めは平静を装っていても自分の手に負えないことが出てきたり、他人に振り回されていると感じたりしてそれが怒りとして現れたのだろう。起こった時のアンソニーは、まさに感情的でめんどくさい頑固おやじだった。

また、たびたび挿入されるのがアンから見たストーリー。アンは何とか父をなだめたり介護士との間を取り持とうと奮闘する。けれどもしばしば見せる悲しげな表情は、切なさと苦しみを感じる。アンにとっても父の変わりようや目に見えた衰えを受け入れがたいのだ。

[後期:理解できない無力]
自分の思い通りにならないと感じていたアンソニーも、状況が悪化しすぎれば呆然として無力となる。例えば朝起きてアンと話したばかりのはずなのに次の瞬間にはアンが消え次の瞬間には夜8時になる。夕食中に少し席を立つとアンとポールが夕食前にしていた話を再びしている。知らない男がポールと名乗り自分の顔をはたいてくる。もはやどうにも自分でも理解できなくなり無力感を感じるのだ。
そのピークがラストシーンだろう。彼は老人ホームの自室で自分が分からなくなり泣く。しかも「ママ、ママ」と冒頭のおどけた様子や中盤の偏屈な姿からは想像もできない言葉を話しながらである。偏屈でめんどくさい姿に比べれば穏やかになったともいえるかもしれないが、「衰え」というよりも「退化」という方が近いのかもしれない。元には戻れない切なさが極まるラストだった。

本作の中で最も重要なセリフはこのラストシーンでの「葉や枝が風でなくなっていくように感じる」というセリフだろう。アンソニーという人物を構成していた過去が失われ、自らを失っていく。初めは残った枝葉で何とか世界を理解しようとしたが、最後には理解に必要な枝葉すらなくなってしまったのだ。このような深みのあるセリフは、より記憶の蓄積がないとできないように感じる。だから実際であればもう少し早い段階で話すセリフなのかもしれない。だけれども本作ではラストシーンに持ってくることで、彼の感じる無力さと無情を引き立てているのだ。

印象に残ったセリフ:「葉や枝が風でなくなっていくように感じる」
印象に残ったシーン:アンソニーが踊るシーン。アンソニーが泣きじゃくるラストシーン。
亘