ヨーク

ファーザーのヨークのネタバレレビュー・内容・結末

ファーザー(2020年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

いつも同じことを言っている気がするが本作を観るにあたって『ファーザー』というタイトルと主演がアンソニー・ホプキンスで彼がアカデミーの主演賞を獲ったということしか知らずに劇場へ行きました。正直、予告編すら今感想文を書き始める前に見たのが初めてだったのでマジでどんな映画なのか全く分からない状態だった。だが結果的には全く白紙の状態で観て良かったですね。まんまとしてやられて面白かったですよ。
まぁどんな映画か知らんかったといっても、タイトルがタイトルで主演が老齢のアンソニー・ホプキンスだから息子か娘との親子の確執を描いたヒューマンドラマ的なものか、もしくは老々介護をテーマにした社会問題を提示するような映画かなと思っていたのだがまぁ外したね。予告編を見たらそこはモロに分かるようになっていたので書くが、老々介護の方はまぁかすりくらいはしていたがその介護問題の中でも本作は認知症に関する映画だった。
認知症がテーマの映画なんていくらでもあるだろ、と思われるかもしれないしその通りなんだが、本作で最も特筆すべきなのはその病における認知の衰えを一人称的、かつサスペンスやミステリ風味を交えて描き出すのに成功しているところなんですよ。
たとえば映画の冒頭はこうだ。アンソニー・ホプキンス演じるアンソニー(役名と役者名が同じ)は割と広い部屋に住んでいる独居老人で度々娘が様子を見に来ているようなのだがある日オリヴィア・コールマン演じる娘がやや怒った感じで彼の元を訪ねる。どうやらアンソニーは結構嫌味な性格をしているようで彼がイジメたせいでヘルパーの人が辞めてしまったらしい。しかもそれは今に始まったことでなく過去に何度もヘルパーをいびって辞めさせているとのこと。それを娘に責められても「あいつがワシの腕時計を盗んだから悪いんだもん」とか言い訳するアンソニー爺。しかし娘が腕時計はいつも置き忘れる風呂場にあるんじゃないのかと言って確認したら実際そこにあった。シュンとするアンソニー爺に呆れて買い物に行く娘。一人になったアンソニーがいじけながらキッチンでお茶を淹れているとリビングから物音が。なんだなんだと確認に行くとそこには見知らぬ男が。「お前ワシの家で何してんだ」とアンソニーが聞くと「何言ってんだ、この家は自分の家で貴方は私の妻の父ですよ」とのこと。ここでアンソニーも観客も目が点になる。さらに買い物から帰ってきた娘にアンソニーが「おいなんか頭のおかしい奴がいるぞ!」と詰め寄るのだがその帰宅した娘の顔が自分の娘の顔と全然違う。ここで客とアンソニーの心情が、誰だよてめぇは!! でシンクロするのである。
そこまでが大体作中で10数分の冒頭なんだけど、いや俺は本作が認知症の映画だとは知らずに観てたからね。もうビックリですよ。知っててもビックリしたとは思うが輪をかけてビックリでしたよ。要は認知症の人にとっては世界がこういう風に見えているんじゃないのかという演出や編集がなされてるわけですね、本作は。そこ面白い発想ですよね。大体よくある認知症映画はどんどん呆けていく身内を家族から見た姿で描かれるじゃないですか。そしてそういう対象にどう接すればいいのだろうかということが問題とされる。でも本作は認知症患者の感覚を疑似体験するかのような作りになっているわけだ。だからこそ本作は前知識無しで観た方が面白いと思うしそうできた俺は幸運でしたよ。この感想文をここまで読んでしまった人は本作の肝の部分を知ってしまったからもうまっさらな気持ちで楽しむことはできないだろうがな、ふははは。まぁ俺は優しいから一応ネタバレ有りにしておいてあげるよ。
で、本作の面白さはその一人称的に描かれる認知症の映像体験という部分なんだけど上述したようにそこにサスペンスやミステリの風味が効いているのがまた面白い。別に推理ものとかではないので明確な正解が用意されているわけではないのだが、作中では記憶としてのエピソードの時系列やその前後の繫がりが寸断されてバラバラになりながらも、何とかあのシーンとこのシーンは繋がっているのではないだろうかとか、あのセリフはここに掛かっているのかとか、そういうのをギリ推察できるようにはなっているんですよ。そこの構成が非常に緻密になっていて自身の記憶の連続性とかに疑問が出る瞬間がスリリングに演出されていたりする。するし、記憶って曖昧な印象同士で結びついてたりもするんだよなぁと思わされもする。ほとんどがアパート内で完結される密室型の小規模な作品なんだけど今アンソニー(の脳内)に何が起こっているのか、というようなハラハラ感はあって面白かったですよ。あと無人の部屋の中を何度も見せるシーンが印象的ですごく秀逸。ただ映されるだけの廊下、ドア、その先の無人の部屋とかすごい無常感と寂寥感があるんだよな。もっと若い頃のアンソニーと妻と娘たちがそこにいたんだろうな、とか思わされる。小道具を使った演出も良い。底の抜けたカップや音が飛んで何度も同じところを鳴らすCDとか。俺は知性的だと自負するアンソニーがその自身の認識の中で苦しんでいる(苦しんでいるという自覚すらないかもしれない)姿は何とも言えない。
ラストシーンも良かったなぁ。うん、凄い良かったと思う。なんかね、あぁやっぱそこに帰りたいんだ、って思ったね、うん。俺も多分それを願ってると思う。すげぇいいラストシーンだったと思うけど気持ちよく爽やかに終わるようなものではなくしんみりとはしますね。超しんみり映画だと思う。でもなんだか不思議と悲しい気持ちにはならないんですよ。しんみりはしつつも人生も映画もこんな感じで終るのがいいんじゃないかな、て感じのラストでしたね。
良い映画だった。
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